何となくだが……

 またしても何となく、という話になるが、何となくの男なので何となくそんなことになってしまうのだ。


 小・中・高という学校は、止まっているもの、確定したもの、死んだものを教えるのは得意だが、生きているもの、今、現に動いているものについて教えるのは向かない気がする。何となく。


 伝統、文化については、俳句でも謳いでも茶道でも手洟でも何でもいいが、「紹介」は、まあまあ、できそうだ。しかし、その芯にあるもの、生きた部分の「教育」は向かなそうだ。何となく。
 教師の個人技に思いっきり頼らざるを得ないし、一山40人は多すぎるし。