テレビの天気予報では、必ずといっていいほど、気象予報士が出てきて、天気図を指し、あれこれ説明する。
「大陸のほうから乾いた冷たい空気が流れ込み〜」とか、「太平洋の高気圧はゆっくりと東に進み〜」とか、まあ、そんなことを言う。
普段は何の疑問もなく見ているが、あれ、いったい、何のためにやっているのだろうか。
私が知りたいのは、明日、晴れるのか雨が降るのか、降るとしたらどのくらい降りそうなのか、暖かくなるのか寒くなるのか、である。
もちろん、天気図の後で、そういう予想も教えてくれる。では、なぜ、あの予想の部分だけではいけないのか。
私は何十年と生きてきて、おそらく、天気図を何千回と見、何千回とさまざまな説明を受けてきたはずだ。
しかし、今、私が天気図を見て、理解できることといえば、
・前線のあたりでは、雨が降る
・台風は右斜め上に向かって進む
この2つしかない。気象予報士のミナサンがあれやこれやと教えてくれることは、少なくとも私に、まったく何の知識ももたらしていない。驚くべきことではないか。
もちろん、これは、私がやる気というものをうっかり母親の胎内に忘れてきて、今さら取りに戻るわけにもいかないせいもある。
しかし、他の人にとってはどうなのだろう。あの、天気図を使った説明から、いったい、何を得ているのだろうか。
天気図による説明には、何の役目があるのか。
「家庭の科学」か、「頭の体操」か。それとも、「天気図による説明を求むる人」というのは、思いもよらず世の中にはたくさんいて、その数はテレビの視聴率に関わるほどなのか。
しかし、私は、天気図の後の「明日の天気」を見ながら、なぜか「言い訳」、「マーキング」という言葉を思い浮かべるのである。