雪の色

 物理化学気象現象方面の原理を全く無視して書く。
 今年、2月に入って東京は二度、大雪に見舞われた。
 おれは重たい雪がやたらと降る富山で生まれ育った。小学生時分までは雪が降ると心躍るところがあって、朝起きて外が一面の雪景色だとひゃっほーなどと思った。道路脇の雪山に登ったり(雪掻きで、子どもの身長の倍くらいの高さまで道路脇に雪を積むのである)、転がり落ちたりしながら登下校したものだ。しかし、中学くらいになるとさすがにいつまでも道路脇で転がり落ちているわけにもいかず、だんだんと雪がわずらわしくなってきた。高校は自転車で10分くらいのところだったが、雪が積もると歩きになり、しかも朝は新雪にずぼずぼはまりながら少しずつ前進して小一時間かけて高校に向かうほかなく、雪が嫌いになった。
 18のとき東京に来たが、以来、雪は嫌いなままである。東京は割と雪が珍しいから、朝、雪が積もっていると喜ぶ人も多いようだが、おれは嫌気が蘇るのが先である。
 でまあ、この間の大雪のときふと思ったのだが、もし雪の色が白ではなく、他の色だったら、人間の感性世界というのはどのようになっただろうか。
 白には清浄なイメージがある。では、あれが真っ赤だとどうか。
 朝起きると、一面血のような赤世界。空からは赤い雪が降る。昼、日が出て雪が溶け出すと、赤い、文字通り血の色をした雪解け水が流れる。もしそういう世界に人間が暮らしていたら、果たして文化、芸術、物事の感じ方というのはどのように違ってきただろうか。
 あるいは、雪の色が黒だったら。あるいは、一面の黄色い世界だったら。
 何かこう、人類のありようというのは違っていたんじゃなかろうか。
 いやまあ、最初に断ったように、物理化学気象現象方面の原理を全く無視して、確かめようのない無駄な思いつきを書き飛ばしているんだが。無駄といえば、このブログ自体(というか、おれ)が無駄のかたまりなので、お許していただきたい。
 ただ、雪がピンク色というのはちょっといい気がする。朝、起きたら外は一面の桃色世界。何かこう、どぎつくもうれしはずかしである。桃色、バンザイ!