精米の不思議

 六本木の東京ミッドタウンで開催されている「コメ展」の企画のお手伝いをした。アートディレクターの佐藤卓さん、文化人類学者の竹村真一さんディレクションで、こんな感じの展覧会である。

→ コメ展

 おれ自身は無知蒙昧なので、白痴は白痴なりに米についていろいろと調べねばならなかった。そして、調べれば興味はわくし、わからないこともいろいろ出てきた。
 例えば、白米である。白米のご飯はうまい。一時、玄米食をやってみたことがあるが、どうもボソボソしてうまみがなく、ダメだった。白米に戻してみて、あらためてそのうまさを実感できた。
 しかし、歴史をさかのぼってみると白米が広まったのはそれほど昔ではないようである。江戸時代には、江戸で白米が広く食べられるようになり、玄米に含まれるビタミンB1が不足して、脚気が増え、「江戸患い」と呼ばれたという。逆に言うと、上流階級は別として、地方では白米より玄米が多く食べられていたということだろう。白米が全国的に広まったのは明治以降だという。
 精米、すなわち玄米から糠を取る技術が発見されたのはいつなのだろうか。糠は白米のまわりに張り付いている薄い層(皮の一種らしい)で、昔は臼に入れ、搗くことで糠を破壊して取ったらしい。その手間が大変で、時間が取られるか、高くつくので、もっぱら玄米で食べていたのだろう。玄米から糠を取ると白米になり、炊くとめちゃくちゃうまいということはいつ頃、どのようにして発見されたのか。玄米を観察しても、知らなければ下にうまい白米があるとはなかなか気づかなそうである。誰だろう、初めて「白米」を発見した人は。白米にするとうまいと気づいた人は。いや、これは日本に限った話でもなく、例えば、タイ米のようなインディカ米にしたって現在は玄米ではなく、白米が中心のようであり、つまり世界の中の誰かが糠を取るという技術を発見して、噂と方式が広まったということなのだと推測する。人間の食方面の発見・追求というのは執念深いものだとつくづく思う(もっとも、おれが一番感心するのは最初に豆腐の製法を発見した人であるが)。
 日本はずっと米を主食にしてきた国と思われているし、実際、そうなのだろうけれども(まあ、五穀ありますが)、その長い歴史の大部分は玄米を食べていたのだろう。よく知らないが、やんごとなく贅を尽くした光源氏なんかも、案外と玄米をボソボソ食べていた(設定な)んではないか。
 米文化と言っても、それは長い間、もっぱらボソボソした玄米食文化であり、白米の味をイメージするのはちょっとズレていそうである。白米のうまさ、味わい、なんていうのは比較的最近(百年間から三百年間ほど?)広まったもののようだ。