だから日本人って素晴らしい?

 百田尚樹の「『黄金のバンタム』を破った男」を読んだ。ファイティング原田についてのノンフィクションである。

「黄金のバンタム」を破った男 (PHP文芸文庫)

「黄金のバンタム」を破った男 (PHP文芸文庫)

 ファイティング原田についてはあまりよく知らなかったので、読んでいて退屈はしなかったが、ちょっと食い足りない気はした。もしかすると、百田尚樹は関係者にそれほど多くインタビューしていないのではないか。
 まあ、それはいいとして、ひっかかったのは帯に書かれた作者本人によるコメントである。

海賊とよばれた男』『「黄金のバンタム」を破った男』は、“対”の関係にあります。
国岡鐵造のモデルとなった出光佐三は、経済人として敗戦で打ちひしがれた日本と日本人に希望を与えました。ファイティング原田は、ボクシングという2つの拳に命をかけたスポーツで、敗戦から復興へと向かう日本人の心に勇気と誇りを与えたのです。ぜひ併読していただき、「日本人って、ほんとうに素晴らしい!」と感じてくだされば、著者としてうれしい限りです。

「日本人って、ほんとうに素晴らしい!」という類いの言葉はしばしば見かけるが、おれはいつも少々抵抗感を覚える。「『黄金のバンタム』を破った男」に即して言えば、その抵抗感には2つある。
 まず、ある優れた個人について語ったからといって、それが日本人の素晴らしさに結びつくのであろうか。確かにファイティング原田は努力と勝負を捨てない精神を持った希有のボクサーだったのだろう。しかし、それをいきなり日本人の素晴らしさに結びつけるのはあまりに短絡的なんじゃなかろうか。
 逆の例を考えてみればいい。百田尚樹と同じ論法を使えば、たとえば、大久保清や出っ歯の亀太郎(出歯亀の語源となった覗き見常習の殺人犯。もっとも冤罪説もあるらしい)について語ると、「日本人って、ほんとうに猥褻で残忍だ!」ということになってしまうではないか。
 2つ目。ファイティング原田によって「日本人って、ほんとうに素晴らしい!」と語るのを仮にOKにしたとしよう。では、その原田の前に立ちはだかった壁、おそらくは原田よりも偉大なボクサー、「黄金のバンタム」ことエデル・ジョフレ(バンタム級で9度連続防衛に成功し、原田と同じく二階級制覇も果たした)を通じて「ブラジル人って、ほんとうに素晴らしい!」と語らないのは変ではないか。そして、その論法を広げていけば、マイク・タイソンを生んだアメリカ人ってほんとうに素晴らしいし、「石の拳」ロベルト・デュランを生んだパナマ人ってほんとうに素晴らしいし、デビューから89連勝、通算37度の世界戦を戦ったフリオ・セサール・チャベスを生んだメキシコ人もほんとうに素晴らしいということになる。
 おそらく、優れた個人を「日本人の素晴らしさ」に結びつけるのは、コバンザメ的というか、二段ロケット式というか、優れた何かに乗っかって自分も優れているような心持ちになりたい、いい気持ちになりたい、といういささか安易な娯楽なのだろう。言葉は悪いが、少しばかり卑怯な気もしないではない。