自分は晴れ男だ、晴れ女だと言う人がいて、イベントなどで、天気予報では雨でも自分が行くと雨が降らないことが多いと信じている。
天気を変えるほどの力が個人にあるとは思えないから、晴れ男・晴れ女というのは気の持ち方によるのだろう。おそらく楽天的なのだ。「おれ/わたしが来たから、晴れたのだ」というのは自分に都合よく物事を見ようとする姿勢だ。本当は雨が降ることだってあるだろうが、そのときはあんまり自分に結びつけず、晴れたときだけ自分に結びつけるのだろう。
逆に雨男、雨女と言う人もいて、これは悲観的なのだろう。「おれ/わたしが来ると、たいてい雨が降る」とまあ、悪いほうに自分を持っていってしまう。精神衛生上はあまりよくないかもしれない。もっとも、こういうことを言うと、雨男、雨女の人は「おれ/わたしは精神衛生上よくないものの考え方をしてしまうのだ・・・」と落ち込んだりして、負のスパイラルに陥ってしまう。
おれはどうかというと、晴れ男ではない。雨男でもなく、もちろん、雪男でもない。あえていうなら、嵐に呼ばれる男だ。思わず知らず、嵐のところに足を運んでしまうのである。超弩級の悲観論者だ。飛びます、飛びます。
おれが移住したら、ゴビ砂漠だって緑化できるぜ。
Laika ac from UK [CC BY-SA 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0)]