マーロウってどうなのか

 小説では、レイモンド・チャンドラーがよくわからない。
 主人公のフィリップ・マーロウに感情移入できないのだ。憧れも抱けないし、そんなにカッコいいとも感じない。


 代表作とされるものを何作か、それぞれ何度か読んだことがあるのだけれども、いつも、「んー」と不得要領のまま、読み終えてしまう。


 どれを読んでも、マーロウがいろんな人の話を聞いて、女と淡い感情のすれ違いがあって、たまに急に乱暴になり、酒をくいっと飲んで、ため息をつく。それだけのことしかわからない。
 まあ、これではサッカーを、「ボールを足や頭で運んでゴールに入れるスポーツ」とまとめるようなものだけれども。


 いや、貶めているのではない。何かはありそうなのだけれども、私自身にはマーロウの魅力が(まだ?)よくわからない、というだけだ。


 マーロウの有名なセリフがある。“If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever gentle, I wouldn't deserve to be alive.”というやつだ。


 日本語では、いろんな訳し方がされている。
「タフでなくては生きて行けない。やさしくなくては生きている資格はない」(タフをハードとしている例もある)、「強くなければ生きていけない、 優しくなければ生きていく価値がない」、「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」。


 いい言葉だから人口に膾炙しているのだろうが、日本語訳で、完璧にぴしっとキマったものに出会ったことがない。訳が不正確になるか、リズムが悪くなるか、なかなか難しいようだ。


 日本語訳の特徴は、この言葉だけがひとり歩きして、格言化していることだ。


 しかし、実際には、マーロウはこの言葉を、あくまで自分についてのこととして語っている。女の「あなたのようにしっかりした(hardな)男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」という質問に答えたのが、この有名なセリフだ。
 主語はあくまで“I”であって、“they”でも、“we”でも、“a man”でもない。


 話がそれた。
 私がよくわからないのは、後半の“If I couldn't ever gentle, I wouldn't deserve to be alive.”というやつだ。私が訳すなら、「優しくなけりゃ、生きててもしょうがないからな」といったところだが、自分で言うかね、そんなこと。
 ただの自慢じゃあないか、と、控えめな日本の私としては思うのである。


 いや、私がマーロウの魅力を今ひとつ感じ取れないのは、この言葉のせいではない。
 彼ならではの孤独とか、価値観を、どうも、自分に重ね合わせることができないようである。男としての何かが欠けているのだろうか。


 まあ、そのうち、わかるようになるのかもしれない。
 今までよくわからなかったものの魅力が、あるとき、ふと感じ取れるようになる、ということも、ある。


 今のところ、卵はハードボイルドよりも、スクランブルエッグのほうが好きだけどさ。


▲一番上の日記へ