魅力のわからないもの

 人によっては凄く入れ込むのに、自分にはその魅力が今ひとつわからないもの、というのがある。


 食べ物の例でいえば、蟹がそうだ。
 私も蟹は嫌いではない。食べれば、ああ、うまいな、と感じる。しかし、そのときに感じる喜びの度合いというのは、うまいサバを食べたときとそんなに変わらない。


 人によっては、蟹を食べると、ちょっとこの人どうしちゃったんだろう?、と驚くぐらいコーフンする。
 肉をすくった後で脚をチューチュー吸いながら(もちろん、蟹の脚を、だ。自分の脚ではない)、「カ、カ、カ、蟹〜。んんんん〜、幸せ〜。うあああああ〜」と、身悶えする。あられもない姿を見せて、恥じるところがない。


 そういう人を、「蟹な人」と呼ぶ。そこまで至る心持ちというものが、私にはわからない。


 作品方面でも、よく魅力のわからないものがある。
 それにも二種類あって、明らかにくだらない幼稚なものと、何かはありそうなのだが魅力を十分に味わうまでに至らないものだ。


 前者については、例を記すのを控える。その例を好きな人が馬鹿にされたように感じるだろうからだ。忍法・保身の術。


 後者の、何かありそうだけれど私には今いちよくわからないものに、モーツァルトとベートーベンがある。
 自分の音楽的感性の低さを晒すようで、書くのはちょっと躊躇するのだが、まあ、本当のことだ。仕方がない。


 モーツァルトについても、ベートーベンについても、魂を奪われたようにのめり込む人がいる。究極の音楽のように語る人もいる。
 しかしですね、よくわからんのですよ、私には。正直なところ。


 モーツァルトは、聴いている途中で、いいな、と思う瞬間もあるのだが、人が絶賛するほどの深い感動を、まだ得たことがない。


 ベートーベンは、感動するより以前に、まず、あのクソ真面目さ、大げささに笑ってしまう。まあ、白状すると、そんなに真剣に対峙して聴いたことがないのだ。
 どうも、厚さ5cm、500gのステーキを目の前に、ドン、と出され、「さあ、食え」と言われているような気がして、聴く前にげんなりしてしまう。音楽的胃腸の弱い、この私。


 バッハの美しさはわかるんですけどね。


 長くなったので、一息入れましょう。