昔から面白いと思っているのだが、中国の慣用句はやたらと誇張する傾向がある。
たとえば、憂のままに歳をとって白髪がのびることを「白髪三千丈」と言うが(李白の詩句だそうだ)、三千丈というの換算すると9kmである。新宿駅から品川駅を越えて、まだ先にまで白髪が伸びている計算で、さぞや歩きにくかったろう。
「悪事千里を走る」という言葉もなかなかで、中国の一里は(時代によって変わるが)500mくらいだから、悪い噂が500kmほど広がる計算になる。東京の日本橋から測ると、名古屋を越え、大阪を越え、兵庫と岡山の県境あたりまで噂が届く。なるほど、悪いことはするものでない。
おれの好きな表現に「怒髪衝天」がある。怒りで髪が逆立って、天を衝くばかり、というわけで、この人でもなかなか追いつかなそうである。
中国語はよく知らないが、慣用句に限ってみると、誇張表現が多い。一方、我が国はというと、どういうわけか、弱める表現が多い。
付け届けにするときに「つまらないものですが」などと言う。「つまらないんならいりません」と言いたいところだが、そこはそれ、お互いに遠慮に遠慮を重ねて、丸く納めてしまう。
最近は「ちょっと」という言い方が耳につく。「ちょっとそのあたり、考え直してみてもいいかもしれませんね」などと、弱めたうえに朦朧として、あるいはお互い波風立てない、そーっと傷つけ合わずに生きていこうじゃありませんか、という生なぶつかり合いを嫌う心の動きが言葉にも表れているのかもしれない。
では、中国の慣用句を日本語に取り入れるとどうなるかというと、「悪事ちょっと千里を走る」などと、わけのわからないことになり、まあ、これはこれで楽しくはある。