欧米の都市と比べて、日本の都市の看板文化を批判する人がいて、まあ、確かに日本の繁華街における看板の華々しさは欧米にはあまり見られないものだろう。
もっとも、全くないわけではなくて、ニューヨークのタイムズスクエアなんかはネオンやデジタルサイネージの広告でなかなか派手である。
一方、日本はというと:
この手の風景が繁華街ではお馴染みだ。
タイムズスクエアと比べると、袖看板の多さが特徴である。タイムズスクエアが建物のファサード(前面)に展開しているのに対して、日本は「寄ってってよ!」とせり出して客を奪い合うイメージで、日本の看板文化を醜いと思う人はこのズカズカ入ってくる図々しさが嫌なのだろう。
ロンドンの中心地、ピカデリーサーカスなんかはおとなしいものである。
この袖看板文化がいつどういうふうに生まれたのかは知らない。ここから先は思いつきだが、看板自体は江戸自体以前からあって、木に店名を掘ったり、筆で書いたりしていたのだろう。素材からして地味で、落ち着いた雰囲気だったのではないかと思う。ところが、文明開化でペンキやトタンなどの素材が入ってきて、あっと始まる「寄ってってよ!」合戦。大正、昭和とネオンサインが普及しだすと、派手派手合戦が進んだようである。
日本の文化について、独自性を信じたがる人は多いが、看板文化についていうと、そんなことはない。東アジア、東南アジアに共通のものである。
たとえば、ソウル。
ハングルがなければ新宿と変わらない。
香港。
上海。
バンコック。
東アジア、東南アジアには汎袖看板文化圏とでも言うべきものがあって、なぜこうまで共通の雰囲気が育ったのか(互いの影響なのか、文化的な根っこがあるのか、それとも工業技術的な条件がそろえば同じふうになってしまうのか)、はなはだ興味深いが、おれの知識と能力ではこれ以上、掘り下げられない。
毎度ながら、残念である。