金さんの謎

 テレビの時代劇に「遠山の金さん」シリーズというのがあった。最近はたぶんやっていなくて、あるいは若い人はあまりよく知らないかもしれない。


 遠山金四郎景元という江戸北町奉行が、遊び人の町人、金さんとして町に出る。
 犬も歩けば、金さんも歩く。必ず事件に当たって、その際、悪人どもに、これ見よがしに桜吹雪の入れ墨を見せておく。
 被害者が奉行所に訴え出るが、お白州で悪人どもはシラを切る。そこでお奉行の遠山金四郎がパッと片肌脱いで桜吹雪を見せつけ、おれは一部始終を見ていたんだ、遠島だ、打ち首だ、引っ立てい、と申しつけて、一件落着。
 毎回、このパターンであった。


 あの番組、ガキの頃から不思議だったのだが、「お奉行様が金さんという町人に化けて、そこらへんを歩き回っているらしい」と、どうして江戸八百八町の噂にならなかったのだろうか。
 噂好きの江戸の人々にとっては格好のネタだろうと思うのだが。瓦版になって大評判になったって、おかしくない。
 噂が広まれば、バレバレだから、金さんはもう出歩くことができなくなる。そうなりゃ、悪人どもは、したい放題だ。


 事件の後、被害者側が固く口止めされる、ということも、まあ、考えられる。しかし、あんなに事件がしょっちゅう起きるのだ。まったく漏れない、とは考えにくい。

「これは、ここだけの話ですがね」と、被害者が声をひそめて“信用できる”人に話す。その“信用できる”人が「ここだけの話」というところをすっぽり忘れて、つい他の人に話してしまう。そうして、後はねずみ算式にわっと広まる、というのが、噂の流布の基本型。吸い殻ひとつから大火事になるプロセスと同じである。


 口止めではなく、口封じが行われる、ということも考えられる。
 悪人どもが引っ立てられる。ほっと空気がゆるんだ直後に、遠山金四郎の口元がニヤリと歪む。イヤーな予感のした被害者達が振り向くと、後ろには抜刀した同心達が――というわけで、金さんの秘密と江戸の平和は、善人の尊い犠牲によって守られるのだ。恐ろしい。


 お白州には、書き役の役人や、何の役目か知らないけど、脇に控えている役人達がいる。


 あの人達は、毎週片肌脱いで桜吹雪を見せびらかす上司を、どう思っていたのだろうか。
「さあ、出るぞ。そろそろ出るぞ、いつものやつが。そうら、来た!」と内心、ニヤニヤしていたのか、「まーた、例のパターンか……」と、まあ、パターンという言葉はまだなかったろうけれども、いい加減、飽き飽きしていたのか。


 書き役の役人は、あの一部始終を速記していたのだろうか。
 職務上、書いていたんだろうなあ。
「北町奉行遠山金四郎景元様、桜吹雪の御彫物披露され候事、毎々の段にて〜」とか何とか、毎週書いているうちに、つい皮肉な調子も混じったんじゃないか、と想像する。


 遠山景元の上役もその文書をチェックしながら、「こやつは毎週、何をやっておるのか」と呆れたんじゃなかろうか。


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