立川談志の「白井権八」に素晴らしいフレーズがある。
白井権八は因州鳥取の侍で、江戸での百三十人斬りで知られ(モデルは実在の侍で平井権八)、たいがいは美青年ということになっている(おれと同じだ)。歌舞伎の「鈴ヶ森」が有名だが、談志は講釈ネタをもとにしてやっている。
話は江戸に出る途中の神奈川あたりからで、白井権八は雲助と一悶着した後、夕刻に川を渡り、鈴ヶ森へと至る。江戸時代に刑場だった土地である。夜となり、ぞくっとするような殺気だけはするのだが人は見えない。
談志の語りを筆に起こしてみよう。フレージングのよさの大半は伝わらないだろうが、言葉の組み立ての素晴らしさだけでも伝えられればと思う。
透かして見るてェとズーッと並んでる獄門の首だ。
「ハハァ、これか。なるほどなァ」
と、ツカツカッとそこへ行くと、
「ウーム。生まれは白き絹糸なれど、いつしか染まる墨の痕か。生まれたときは無垢な体も、貴様達の了見が祟って死んだ後までこの恥辱か。今度生まれてくるときはこのようなことのないようにしろと、貴様どもに意見を言うそれがしではないがこれも後世を弔う菩提のひとつ、と」
手向けをしているこの男。烏というものは自分のことが、つまり人のこと、人が死ぬことがわかってカワイカワイと鳴くくせに、自分が狩人に鉄砲で狙われているのがわからないという話があるがこの男とてその通りだ。今はこうやって、来世には、まともに生まれてこいよと回向をしていながらその身は、江戸へこれから行く。二代目高雄と言われた三浦屋お抱えの小紫という女に惚れた挙げ句に、郭の金に手詰まって、斬り取り強盗武士の習いとばかりに斬って斬って金を奪って、追われ追われ逃げて浪花で捕まって同じこの場所の鈴ヶ森に、土で三尺、木で三尺、六尺高い所でその素ッ首を曝して阿波上総ァ眺めながら、暮らす身になるとは露知らず、そのまま回向するとスタスタスタッと行く遥か向こうに明かりが見える……。
談志は話全体についてはアドリブで話を組み立てているようだが、今聞き書きした部分についてはおそらく講釈のフレーズをそのまま語っているのではないかと思う。言葉の連なりの完成度が高く、練り上げられてきたもののよさが感じられるからだ。
「斬って斬って金を奪って、追われ追われ逃げて浪花で捕まって」というようなリズムも素晴らしいが、視線の移動もまた素晴らしい。江戸→吉原→女→人斬り→浪花→鈴ヶ森、と双六の如くに来て、「土で三尺、木で三尺、六尺高い所で」とカメラをせり上げるように下からスーッと映されて、その先に獄門首。そうして、海をはさんだ阿波上総に視線をポーンと飛ばすところが何ともたまらない。
芝居は芝居でもちろん長じる部分があるけれど、こういう凝縮されたイメージの連続と飛躍による揺さぶりでは語り芸にかなわないと思う。この録音、何度も聞いているのだが、毎度持ってかれます。
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