カタブツ愛

 赤瀬川原平の「ライカ同盟」(ちくま文庫isbn:4480034811 )を読み始めた。読んだのは、まだ全体の1/3程度である。


 ちょうど10年前に書かれた話で、中古カメラ・マニアの行動や心理、偏愛、かすかな哀しみが綴られている。
 印象的な人物も出てきて、「中古カメラ・マニアに悪い人はいない」と感じるのだが、まあ、これは「犬が好きな人に悪い人はいない」と同じマジックであろう。


 と、相変わらず物事を斜めに見てしまったが、そんなことはどうでもよい。


 本の中で、当時、赤瀬川原平が、月一回、カルチャー・スクールのようなところでやっていた講座について、ちらりと触れている。


 講座の名称は「金属人類学入門」で、これはおそらく世界初の学問である。学問といえるかどうかが問題なんだが、人はなぜ金属物品に憧れるかというのがテーマで、その具体例としてカメラを取り出している。
 人は何故カメラを好きになるのか。それも特に、人の中の男が何故カメラを好きになるのか。


 「金属人類学入門」は、「中古カメラの愉しみ――金属人類学入門」というタイトルで本にもなっているそうだが、未読だ。


 赤瀬川原平の書いている通りで、男(男の子)には金属が好きな人が多い。
 金属が好き、といっても、銅をただ立方体にしたものを両手で大事に抱えながら、「いいなあ。いいなあ。キミを誰にも渡さないよ。僕のブロンちゃ〜ん!」と頬ずりするような人はあまりいないと思う。
 あるいは、貴金属というものもあるけれど、あれはもっぱら女性の好むもののようである。


 男が好むのは、金属がメカになっているものだ。いや、金属に限らず、樹脂でも、ガラスでもよい。人工的に加工された硬い素材がメカになっているとグッと来てしまうのである(もちろん、私は傾向の話をしている。男がみんなそうだ、というわけではない)。


 金属に限らないから、私はこれをカタブツ愛と呼びたい。本当はカタブツ・メカ愛なのだが、語呂が悪いので、前者にしておく。


 カタブツを愛してしまう証拠に、レザーがある。レザー自体はやや硬めではあるけれども、ベロン、としていて、カタブツではない。レザーだけを渡されても、多くの男は困るだろう。
 しかし、これがカメラでもラジオでもクルマのハンドルでもいいが、金属の上に張られて、つまり金属の力を借りてカタブツと化すと、そこに愛情が発生するのだ。金属の硬さに付け加わったレザーの弾力を、表面をナデナデしてヨロコぶ。これがカタブツ愛である。


 じゃあ、カタブツがメカになっていれば何でもいいのかというと、そうではない。逆に、どういう具合のカタブツがどういう具合のメカになっているか、というところにウルサくなる。
 「ダメだよ、真鍮をこんな丸っこい形にしちゃあ」とか、「なんかこう、凛としたところがないんだよなあ、この樹脂の使い方」とか、「ここの部分はクロムメッキにしちゃいかんでしょ」などと、興味のない人からすると、何を細かくゴチャゴチャ言っているのであろうか、としか思えない不満を述べる。


 このあたりは、女性を好きといっても、好みがいろいろなのと似ているかもしれない。


 男のカタブツ愛というのはごく小さい頃からあって、男の子は幼児の頃からミニカーを好む。女の子にも、まあ、たまにはそういう子がいるかもしれないが、かなり少数派だろう。


 小さい男のお子さんをお持ちの方は、子供がドライバーの使い方を覚えたら要注意である。
 なぜなら、ある日の夕方、留守番させて帰宅すると、テーブルおよびそのまわりの床に、元はどうやら目覚まし時計であったらしい各種部品とネジが散乱しているのを発見する羽目に陥るからだ。
 男の子は、悪いことをしたとわかっており、しかしながら自分の力では組み立て直すことができず、親の顔を見た瞬間、顔を歪めて、泣き出すのである。


 そういうとき、「なんでこんなことしたの!」と叱っても仕方がない。いや、叱るべきなんだろうが、男の子にはまず答えられないだろう。
 カタブツ愛の故である。それを説明できるようになるまでには、気の遠くなるほどのカタブツ体験が必要なのだ。


 私も、小学生の頃にやった記憶がある。確実に怒られるとわかっていても、分解したいという誘惑に完全に囚われてしまった。
 ラジオを分解しながら、むしろ、そのイケナイコトヲシテイルという感覚が、エロティックなコーフンを呼びさえした。


 が、一方で、今の私には中古カメラを買いたい、という気持ちはない。
 カメラは、父親から奪取した(借りている、ということにはしてあるが、返すつもりはまったくない)ニコンFE2を使っていて、使っているときの感覚もデザインも気に入っているが、他のカメラをほしいとは思わないのだ。
 もともと、モノをほしい、と思うことがあまりないせいかもしれない。カタブツ愛はよくわかるけれども、所有したいという気持ちがどうやらないようである。


 コレクターやマニアと言われる人々とは、そのせいで一線を引いた場所に住んでいる。それが幸せなことなのか、不幸せなことなのかはよくわからない。


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