ボケとツッコミ

 お笑いの「ボケ」と「ツッコミ」という言葉を、今では普通の人がごく普通に使っている。
 もともとは漫才から来た言葉だと思う。曖昧だが、1980年頃の漫才ブームから日常的に使われるようになった記憶がある。当時、私は中学生で、それまで「ボケ」、「ツッコミ」なんていう言葉は使っていなかったと思う(あるいは知らなかったかも)。
 元々は、もっぱら芸能関係者やお笑い好きの人が使う、やや専門的な言葉だったんじゃないか。


 わかりやすい例で言うと、コメディNo.1が古典的なボケとツッコミだと思う。
 ……って、関西近辺あるいは吉本の番組が放送されていた地域の、比較的上の世代以外には、コメディNo.1自体、よくわからないか。


 コメディNo.1は、坂田利夫前田五郎の漫才コンビである。前田五郎はまだしも、坂田利夫をわからない人は以後、見捨てる。勉強し直してきなさい。


 坂田利夫は典型的なアホづらで、アホなことを言う。落語で言えば、与太郎的キャラクターだ。
 一方、前田五郎は、坂田利夫がボケたままだと話が進まないから、適当にツッコんで、話の流れを作る。まあ、進行役だ。


 あくまで私の考えだけれども、これがボケとツッコミの基本パターンだと思う。


 しかし、漫才ブーム以降は、ボケとツッコミもいろいろになってきて、たとえば、知的ボケとでも言うべき存在が出てきた。あるいは、ボケとツッコミがコロコロ入れ替わったり、ツッコミがボケの言ったことを拡大したり、ズラしたりと、両者の関係はさまざまである。


 ボケの基本的な役割は、ごく普通の考え方を裏切る、ズラす、というところにある。タイプはいろいろにしても、これはたぶん、ほとんど全てのボケに共通するだろう。
 「ボケ」とは言うけれども、痴呆であるわけではなく(当たり前だが)、「ズラシ」といったほうが実態に近いと思う。


 一方、ツッコミのほうは、やることがコンビやグループによっていろいろなせいで、まとめにくい。
 ボケに対する単純な合いの手役(ツービートのビートきよしや、DONDOKO-DONの異様に影の薄い彼――名前を知らない――がそうだろう)から、話の進行役、ボケのイジリ役、ボケの言ったことをさらにズラしたりブーストしたりする役、リズムを作る役まで、さまざまだ。少なくとも、私は「ツッコミとは○○だ」と断言できず、ちょいと悔しい。


 ちなみに、私は仲間うちで話をしているときは、たぶん、ボケなのだが、そんなことは読んでいる人にとってどうでもよいことであろうから、別にちなまんでもよかったのであった。スマン。


 しかし、まあ、そんなふうに、現代の日本では、ごく普通の人々の間でも、ボケ、ツッコミという役割づけが行われる。小難しい言い方すれば、日常会話において、ひとつの強固な構造となっているのだ。


 これ、世界的にはどうなのだろう。もしかしたら、珍しいことなんじゃないか、と思うのだが、海外に住んだことがないので、わからない。


 サタデイ・ナイト・ライブの頃のジョン・ベルーシダン・エイクロイドを見ると、特にボケとツッコミのような構図はないようだ。
 もっと古い時代のアメリカのコンビ、たとえば、エイモス&アンディとか、ローレル&ハーディとかはどうだったんだろう。見たことがないのでわからない。


 あくまで仮に、だが、ボケとツッコミという構図が、現代の日本特有のものなのなら、なぜそんなことになったのか。知りたいことのひとつだ。


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