ショッキングなアナフィラキシー・ショック

 人間というのはどうもショックなものに目が行きがちであるらしい。

 コロナのワクチン接種が日本でも始まって、ワクチンに対するアナフィラキシー(重いアレルギー症状)がニュースになっている。

 Googleニュースで適当に見出しを拾ってみよう。

ワクチン接種でアナフィラキシー 新たに12人 全員回復か改善
アナフィラキシー、国内で新たに12人 ワクチン接種
“ワクチン”でアナフィラキシー 女性ばかりなぜ?
アナフィラキシー、欧米より多い 河野氏
国内の“アナフィラキシー” 「欧米に比べ多くみえる」厚労省で分析へ
ワクチン接種でアナフィラキシー「欧米に比べ多い」河野大臣
アナフィラキシーの疑い「重大な懸念認められず」 厚労省分析
アナフィラキシーは「治療法確立」 ワクチン接種で専門家
アナフィラキシー”新たに12人報告
ワクチン接種で気になるアナフィラキシー。あの薬剤を服用中の人は要注意!
ワクチン接種の男女8人に新たに「アナフィラキシー」報告

 ムムム、これは容易ならざること! と見出しだけ読むとそう思う。

 しかし、一本めの記事(NHK NEWS WEB)を読んでみると、「11日午後5時までに国内で接種を受けた18万741人の医療従事者のうち、アナフィラキシーが報告されたのは37人で、およそ4900人に1人の割合」なんだそうだ。確率で言うと、37人÷180,741人で、0.0205%。これは非常に低い数字である。

 とっさの思いつきで交通事故の数字を調べてみると、2020年の交通事故による死者数・負傷者数は37万2315人(交通事故総合分析センターのサイトより)。日本の人口は2020年9月時点で1億2562万人(総務省統計局のサイトより)だから、1年間に交通事故で死傷する確率を計算すると、0.300%である。

 コロナのワクチンでアナフィラキシーに陥る確率は、交通事故で死傷する確率よりはるかに低い。ワクチンを打つより、外を出歩くほうがよほど危険である。

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 悪いことへの想像は不安や心配、恐怖を覚えさせる。アナフィラキシーという現象を知ると、もし自分がアナフィラキシーショックに見舞われたら、とつい想像してしまうのだろう。

 アナフィラキシーが取り上げられるのは、それが不安や心配、恐怖を覚えさせるからだろう。ショッキングなものは「売れる」のだ。まあ、ニュースというものは、何が起きた、それは全体から見てどうかということより、得てして感情に訴えるところが優先される。それはまた、わしらの心にある不安や心配、恐怖の反映でもある。

出家者も生きねばならない

 先週に続いて、仏教の話。とはいっても、中村元先生の初期仏教の話をもとに、思うことを勝手に書き散らすだけである。

 インドの初期仏教の出家者たちは、お釈迦様も含めて、あちこちを移動していたという。一応、寄進を受けた土地なんかはあるのだが(祇園精舎もそのひとつ)、雨季をのぞいて定住はしなかったらしい。修行者は森でひとりいることを楽しめ、みたいなことが経典に書いてあったりする。

 これはまあ、インドが暑熱の国ということもあるのだろう。裸や裸に近い格好でも暮らせるし、雨をしのげる程度の屋根なり覆う何かがあればよいのだと思う。

 食事は、もっぱら朝の托鉢だけ。おそらく、インドには聖者や出家者に食事を分けるのが当たり前という習慣があったのだろう。

 これが中国に入ってくると、なんといっても、冬、寒い。インドの出家者のように外で暮らしていては死んでしまう。そこで建物の中に住む必要が出てくる。建物を建てるには寄進を受けるか、お金を集めなければならない。しこうして、朝廷なり、有力者なりに、取り入るとは言わないまでも、寄付を受ける必要が出てきたのだろう。インドの出家者は基本、労働をしないが、中国の禅宗の中には農園を耕すことも出てきた。

 日本に入ってきた仏教も、最初の頃は朝廷や有力者の強い支援を受けてきた。東大寺は国立であるし、興福寺藤原氏菩提寺として発展した。時代が荒れてきて国の直接的な支援を受けにくくなると、荘園を持つようになる。東大寺なんかは相当大きな荘園主だったようだ。

 さらに時代が進んで江戸時代となると、大寺院なら幕府や有力大名の庇護を受けられる。一方で、小寺院の僧たちもなんとか食っていかなければならない。これはおれの勝手な推測だが、いわゆるお布施というやり方は小寺院が「食べていく」ために利用した手法なのだと思う。葬式だの、法事だのでお布施を受けることでなんとか食べていくことができる。「葬式仏教」と日本の仏教は悪口を言われることがあるけれど、坊さんだって最低限の衣食住は必要であって、自然と葬式や法事で小規模な寄進を受けるようになっていったのだと思う。まあ、お布施は日本版の托鉢とも言える。

 インドの初期仏教では形式張った葬式はやらなかったようだ。荼毘に付すなり、川に流すなり、言ってしまえば死体を処理するというだけのことらしい。

 インドから流れ流れて、日本まで来て、仏教は葬式仏教と悪口言われるようになったけれども、まあ、出家者(坊さん)も飢死、凍え死にするわけにいかず、どうにか身を立てなければならない。自然な流れといえば、自然な流れと思う。

 ・・・などとぐだぐだ書いたが、こういうのは外的な理解であって、己の内面の修養とは何も関係ない。外的なことをわかった気になっても、悟りにも至らなければ、解脱、涅槃にも至らない。外的なことと内面の話はちょっと別のことである。

 

お釈迦様と大乗仏教

 ここ1年近く、仏教学者の中村元の本をよく読んでいる。

 中村元はいわゆる大先生であって、日本の戦後の仏教学はおそらく中村元の大きな影響下にあったろうと思う。特に初期仏教の研究を大きく進めた。

 大学教授時代は学術的な研究が中心だったようだが、退官してからは一般向けの初期仏教概説書や入門書を多く出している。入門書はとても読みやすく、わかりやすく、親切であって、仏教の知恵をなんとか現代に生きる人に役立てたいという心が伝わってくる。

 おれはインドや中国の仏教について白痴だったから、ははあ、と得心の行ったことがたくさんあった。

 たとえば、初期仏教と大乗仏教の関係についてである。

 大乗仏教では超人的、というよりほとんど魔術的な如来や菩薩がたくさん出てきて、大活躍する。これがまた、日本ではお釈迦様の教えであるということになっていて、お釈迦様がそんなこと言うかねー、とちょっと疑問に思っていた。

 こういうことであるらしい。

 インドから中国へは、いろんな時代の仏典がごたまぜになって入ってきた。初期仏教の仏典には、ダルマに従え、とか、怒りを捨てよ、とか、この世は思い通りにならぬものだ、とか、修行にはげめ、とか、簡単なことしか書いてない(簡単というのはシンプルという意味であって、実際に行うのが簡単という意味ではない)。

 一方、いわゆる大乗仏教の経典には大日如来だの三千世界だの阿弥陀様と極楽だの未来成仏だのと壮大な世界が展開されている。

 この違いは何か? と中国の坊さんたちは考えたらしい。

 でもって、こう解釈したらしい。

 これはいずれもお釈迦様の言葉には違いがない。ただ、むつかしいことのわからない愚人向けには簡単なことを教え、レベルの高い信者に向けてはたとえば法華経のような高度なことを教えたのだ、と。

 つまり、もともとは初期仏教から大乗仏教、果ては密教に至るまで、千年以上の歴史をかけて成立したさまざまな仏典を、中国の仏教界は短い期間で一気に受け取ったので、時代の違いを、レベルの違いと間違ってしまったようだ。

 何しろ、インドから中国まで、歩いて仏典を運ぶしかなかった時代であるし、インドでは時代の記録みたいなことを軽視していたらしいから、中国で時代の差をレベルの差と取り違えてしまったのもわかる。

 そして、レベルの差と勘違いして、その後の中国、あるいは日本の仏教も展開していくのだから、面白いといえば面白いし、何かこう、壮大な勘違いとも思える。

 もちろん、勘違いからスタートしたものであっても、その後には坊さんたちそれぞれの思惟と探究があったろうから、それはそれで仏教の展開ではあるけれど。

ゴタマゼの日本

 少し前に日本や東アジア、東南アジアの袖看板事情について書いたら、いくつか反応があった。その中に、日本の袖看板は漢字、カタカナ、ひらがな、欧文が混じっていてキチャナイ! というものがあった。

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 なるほど、日本の袖看板は文字の種類がゴタマゼである。もっとも、これは日本の文字事情がゴタマゼであるからして、しょうがないと言えば、しょうがない。

 日本の文字の歴史をたどると、まず中国から漢字が入ってきて、これを元にしてひらがな、カタカナが生まれた。明治の文明開化で欧文が入ってきた。文明開化以来のコンプレックスなのか、終戦後のアメリカば凄か! の影響なのか、何かこう、欧文で書くとカッチョよい、洗練されて見える、という受け止め方があって、(しばしば意味もわからないのに)欧文、特に英文を半分飾りとして入れる、ということが増えてきた。

 そう考えてみると、今の日本の袖看板というのは日本の文字文化のいくつもの層がそのまま反映されたものであって、日本の文化の歴史が反映されているとも言える。そもそも日本の文化がゴタマゼなのだ(日本以外の国だって大なり小なりそうであるが)。これからはさらに多文化が入ってくるだろうから、いずれ、ハングルはもちろん、アラビア文字やインド系の文字なんかも看板に入ってくるかもしれない。

 おれ自身は日本の袖看板のゴタマゼぶりが嫌いではない。にぎやかでワイワイを好む心象が反映されているようにも思うのだ。

 整然としたものはそれはそれで確かにきれいだが、それでなければならない、となると、息苦しい。わっと、ぐしゃぐしゃみたいなものの魅力も、それはそれであると思うのよね。

ラーメン屋に並ぶ

 おれは自転車で徘徊するのが趣味で、東京中のあちこちをまわる。

 走っていてよく出くわすのがラーメン屋に並んでいる人々である。おれはあんまりラーメンを食わないし、そもそも並ぶのが嫌いだから、「昔のソ連で肉買おうっていうんじゃないからさー」などと内心、悪口を言っている。自分がやらないことには手厳しくなりがちなもので、いや、面目ない。

 いろんな食べ物屋があるなかで、並ぶ店ナンバーワンはラーメン屋だろう。寿司屋に並んでいるというのは見たことがないし(回転寿司は別)、ラーメン屋ではなくて普通の中華料理屋に並んでいるのもあまり見たことがない。マクドナルドはやたらと並んでいて、ハンバーガーをほとんど食べないおれからするとあれも不思議だ。

 ラーメン屋は客の回転が早いから、並んでも割に早く順番がまわってくるということもあるのだろう(マクドナルドも同じ)。しかし、同じように回転が早いカレー屋に並んでいる列というのはあまり見た記憶がなく、ラーメン屋にはカレー屋とは違う、並びたくなる、あるいは並んでも不愉快ではない何かがあるんだろうか。

 あと並ぶといえばなんだろう。ケーキ屋や鯛焼き屋の類は並んでいるのを見る気がする。あとは肉料理系か。そう考えると、どうも味の濃ゆい系のものには人を並ばせる力があるのかもしれない。粋な蕎麦屋に人が並んでいる、なんていうのはあんまり見たことがないものな。

ちょっと怒髪衝天

 昔から面白いと思っているのだが、中国の慣用句はやたらと誇張する傾向がある。

 たとえば、憂のままに歳をとって白髪がのびることを「白髪三千丈」と言うが(李白の詩句だそうだ)、三千丈というの換算すると9kmである。新宿駅から品川駅を越えて、まだ先にまで白髪が伸びている計算で、さぞや歩きにくかったろう。

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「悪事千里を走る」という言葉もなかなかで、中国の一里は(時代によって変わるが)500mくらいだから、悪い噂が500kmほど広がる計算になる。東京の日本橋から測ると、名古屋を越え、大阪を越え、兵庫と岡山の県境あたりまで噂が届く。なるほど、悪いことはするものでない。

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 おれの好きな表現に「怒髪衝天」がある。怒りで髪が逆立って、天を衝くばかり、というわけで、この人でもなかなか追いつかなそうである。

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 中国語はよく知らないが、慣用句に限ってみると、誇張表現が多い。一方、我が国はというと、どういうわけか、弱める表現が多い。

 付け届けにするときに「つまらないものですが」などと言う。「つまらないんならいりません」と言いたいところだが、そこはそれ、お互いに遠慮に遠慮を重ねて、丸く納めてしまう。

 最近は「ちょっと」という言い方が耳につく。「ちょっとそのあたり、考え直してみてもいいかもしれませんね」などと、弱めたうえに朦朧として、あるいはお互い波風立てない、そーっと傷つけ合わずに生きていこうじゃありませんか、という生なぶつかり合いを嫌う心の動きが言葉にも表れているのかもしれない。

 では、中国の慣用句を日本語に取り入れるとどうなるかというと、「悪事ちょっと千里を走る」などと、わけのわからないことになり、まあ、これはこれで楽しくはある。

看板文化

 欧米の都市と比べて、日本の都市の看板文化を批判する人がいて、まあ、確かに日本の繁華街における看板の華々しさは欧米にはあまり見られないものだろう。

 もっとも、全くないわけではなくて、ニューヨークのタイムズスクエアなんかはネオンやデジタルサイネージの広告でなかなか派手である。

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 一方、日本はというと:

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 この手の風景が繁華街ではお馴染みだ。

 タイムズスクエアと比べると、袖看板の多さが特徴である。タイムズスクエアが建物のファサード(前面)に展開しているのに対して、日本は「寄ってってよ!」とせり出して客を奪い合うイメージで、日本の看板文化を醜いと思う人はこのズカズカ入ってくる図々しさが嫌なのだろう。

 ロンドンの中心地、ピカデリーサーカスなんかはおとなしいものである。

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 この袖看板文化がいつどういうふうに生まれたのかは知らない。ここから先は思いつきだが、看板自体は江戸自体以前からあって、木に店名を掘ったり、筆で書いたりしていたのだろう。素材からして地味で、落ち着いた雰囲気だったのではないかと思う。ところが、文明開化でペンキやトタンなどの素材が入ってきて、あっと始まる「寄ってってよ!」合戦。大正、昭和とネオンサインが普及しだすと、派手派手合戦が進んだようである。

 日本の文化について、独自性を信じたがる人は多いが、看板文化についていうと、そんなことはない。東アジア、東南アジアに共通のものである。

 たとえば、ソウル。

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 ハングルがなければ新宿と変わらない。

 香港。

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 上海。

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 バンコック。

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 ホーチミン

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 東アジア、東南アジアには汎袖看板文化圏とでも言うべきものがあって、なぜこうまで共通の雰囲気が育ったのか(互いの影響なのか、文化的な根っこがあるのか、それとも工業技術的な条件がそろえば同じふうになってしまうのか)、はなはだ興味深いが、おれの知識と能力ではこれ以上、掘り下げられない。

 毎度ながら、残念である。