ここ1年近く、仏教学者の中村元の本をよく読んでいる。
中村元はいわゆる大先生であって、日本の戦後の仏教学はおそらく中村元の大きな影響下にあったろうと思う。特に初期仏教の研究を大きく進めた。
大学教授時代は学術的な研究が中心だったようだが、退官してからは一般向けの初期仏教概説書や入門書を多く出している。入門書はとても読みやすく、わかりやすく、親切であって、仏教の知恵をなんとか現代に生きる人に役立てたいという心が伝わってくる。
おれはインドや中国の仏教について白痴だったから、ははあ、と得心の行ったことがたくさんあった。
たとえば、初期仏教と大乗仏教の関係についてである。
大乗仏教では超人的、というよりほとんど魔術的な如来や菩薩がたくさん出てきて、大活躍する。これがまた、日本ではお釈迦様の教えであるということになっていて、お釈迦様がそんなこと言うかねー、とちょっと疑問に思っていた。
こういうことであるらしい。
インドから中国へは、いろんな時代の仏典がごたまぜになって入ってきた。初期仏教の仏典には、ダルマに従え、とか、怒りを捨てよ、とか、この世は思い通りにならぬものだ、とか、修行にはげめ、とか、簡単なことしか書いてない(簡単というのはシンプルという意味であって、実際に行うのが簡単という意味ではない)。
一方、いわゆる大乗仏教の経典には大日如来だの三千世界だの阿弥陀様と極楽だの未来成仏だのと壮大な世界が展開されている。
この違いは何か? と中国の坊さんたちは考えたらしい。
でもって、こう解釈したらしい。
これはいずれもお釈迦様の言葉には違いがない。ただ、むつかしいことのわからない愚人向けには簡単なことを教え、レベルの高い信者に向けてはたとえば法華経のような高度なことを教えたのだ、と。
つまり、もともとは初期仏教から大乗仏教、果ては密教に至るまで、千年以上の歴史をかけて成立したさまざまな仏典を、中国の仏教界は短い期間で一気に受け取ったので、時代の違いを、レベルの違いと間違ってしまったようだ。
何しろ、インドから中国まで、歩いて仏典を運ぶしかなかった時代であるし、インドでは時代の記録みたいなことを軽視していたらしいから、中国で時代の差をレベルの差と取り違えてしまったのもわかる。
そして、レベルの差と勘違いして、その後の中国、あるいは日本の仏教も展開していくのだから、面白いといえば面白いし、何かこう、壮大な勘違いとも思える。
もちろん、勘違いからスタートしたものであっても、その後には坊さんたちそれぞれの思惟と探究があったろうから、それはそれで仏教の展開ではあるけれど。