最近、仕事のからの帰りにTOTOを聞くことが多い。
おれが初めてTOTOを聞いたのは高校生の頃くらいだろうか。「Rosanna」や「Africa」が流行っていた。いかにもアメリカのロサンゼルスというサウンドで、メンバーの演奏技量は高く、曲もポップで、実に「美味しい」のであった。
今はこの後のファーギー・フレデリクセンやジェフ・ウィリアムズがボーカルだった頃のアルバムを聞くことが多い。実によくできていて、渋谷陽一の言うところの産業ロックの典型みたいな感じだ。
TOTOにはいくつか不思議なところがある。
オリジナルメンバーはもともと少年時代の頃から知り合いだったらしい。彼らはスタジオミュージシャンをして、その後にTOTOを結成するのだが、こんな優秀なミュージシャンがどうやって少年時代に知り合ったのだろうか。少年時代、すでに彼らは優秀で、演奏で知り合う機会がロサンゼルスのどこかにはあったのか(スタジオミュージシャンの口を「あいついいじゃん」と誰かが紹介するというのはいかにもありそうだ)。それとも少年時代にすでにスタジオミュージシャンだったのだろうか。
TOTOの曲はどれも多くの音楽的アイデアにあふれている。メロディ、ちょっとしたフレーズ、リズムの絡み方、シンセサイザーの響き--どれも美味しい。そしてアイデアにあふれていながら、音楽的深みがほとんどない。妙にツルンとしている。そのあたりも不思議である。
TOTOは優秀な消費音楽だ。確かに、産業ロックであって、よくデザインされた工業物みたいな感じがする。