ここのところ、キング・クリムゾン、特に80年代の頃のものをよく聞いている。
キング・クリムゾンは60年代末に結成されて、70年代前半で解散。その後、リーダーのロバート・フリップが新しいメンバーで(ドラムのブルッフォードは同じだが)80年代に再結成した。その後も活動を休止したり、新しいメンバーを入れたりして活動は断続的に続いているが、細かいところがわたしにはよくわからない。
クリムゾンを初めて聞いたのは高校生のときだった。70年代のクリムゾンはアヴァンギャルドなところと、歌謡曲的なところもあって、とっつきにくいので入れ込みはしなかったが「凄いな―」「きれいだなー」とは感じた。一方で80年代の最初のアルバム「ディシプリン」は結構話題になったけど、わたしには全然わからなかった。「何だ、これ?」てなもんである。世間の評価も、何だか困ってる、という感じのものが多かったように記憶している。
しかし、今聞くと、当時彼らがやりたかったことがよくわかる。細かい音の断片をパッチワークのように組み合わせ、重ね合わせていって、そこから生まれる音の感覚世界を楽しむ、とでもいうかな。たとえば、このライブを見ると、スタジオ録音のアルバムを聴くより彼らの意図がよくわかるように思う(音楽なのに、聞いてわからないことが見るとわかる、というのも不思議だな)。
ブルッフォードのファッションがオシャレねー。ギター/ボーカルのエイドリアン・ブリューはナイス・ガイぶりを発散しているし、ベース(スティック)のトニー・レビンの音楽的知性から来る程の良さとビートも素晴らしい。ロバート・フリップは……相変わらず座って、学校の先生みたいにバンドのメンバーを見ている。
彼らの作り出す音は、当時は(少なくとも高校生のわたしの耳には)「何、これ?」という感じだったが、今聞き直すと、あの頃出てきたニューウェーブの音作りにも通じるように思う。音を、長い音のつながりとかメロディというより、細かい断片にして組み合わせるところがだ。この音の作り方はその後のテクノの音作りにも反映していて、80年代のクリムゾンはギター2本という構成だが、ギターをシンセに置き換えたらテクノ風の音になると思う。クリムゾンの作った音の形が単純にニューウェーブやテクノに伝搬したということではなくて、ある音の作り方とか音の感覚が時代の中でいろんなミュージシャンによって渦を巻くように作られていくということだと思う。
高校生の頃のわたしにはそんなことなぞわかるわけもなく(何しろマイケル・シェンカーとかジャーニーとか聞いていたのだ)、まあ、耳ができていなかったということなのだろう。音楽的素養のレベルのようなことに関係しているのだと思う。
ところで、エイドリアン・ブリューの歌を「下手」と言う人がいるようだけれども、わたしにはそうは思えない。馬鹿にする人は、たぶん70年代のクリムゾンのグレッグ・レイクとかジョン・ウェットンと比べて「下手」と言っているのだと思うが、グレッグ・レイクやジョン・ウェットンにはこんな曲調の中でこんなに軽やかに歌い回すことなんてできないだろう(まあ、逆にエイドリアン・ブリューが70年代のクリムゾンの歌を歌っても様にならないだろけど)。エイドリアン・ブリューという人は音楽的教養が深く、知性が高く、洗練されていて、粋なのだ。70年代のクリムゾンにあったようなベタベタな歌謡曲風の歌(それが魅力のひとつなのだが)を思い入れたっぷりに歌い上げるなんてことをやらないのだと思う。それでいて、鼻につくような嫌みもない。エイドリアン・ブリューはカッコウよい。