少し前、谷崎潤一郎と芥川龍之介の小説を読んでいて、プロフィールを見て谷崎潤一郎が芥川龍之介より6つも年上であるのに驚いたことがある。年齢的には逆か、もっとずっと谷崎潤一郎が若いと思っていた。
芥川龍之介が早く亡くなったうえに老成した作品を書いたのに対して、谷崎潤一郎は息が長く、戦後の風俗・文体を取り入れた小説まで書いていたせいもあるのかもしれない。
国語の教科書に出てくるような小説家の年齢を書き並べてみよう。
夏目漱石 1867年 慶応3年
幸田露伴 1867年 慶応3年
尾崎紅葉 1868年 慶応3年
島崎藤村 1872年 明治5年
もちろん、まだまだ小説家はたくさんいるけれども、あまり多いのも煩雑になるのでこのくらいにしておこう。
まず、明治の文豪というと夏目漱石と森鴎外が並び称せられるけれども、鴎外のほうが漱石より5つも年上である。なんとなく近い年齢のように感じるのは、漱石の小説家としての活躍期間が十年ほどしかなく(「坊っちゃん」から「明暗」までがちょうど十年)、一方の鴎外は息が長く、鴎外の長い活躍期間中に漱石のそれが含まれてしまうからかもしれない。
永井荷風の生年が意外と早い。生まれたのは西南戦争のわずか2年後である。書くもののモダンな印象がもっと後の時代の作家に(年齢を若く)感じさせるのだろうか。
最初にも書いたが、谷崎潤一郎は案外と古い。武者小路実篤と一歳しか違わない。これも書くものにモダンなものがあるからか(まあ、谷崎潤一郎は古典に材をとったものから日本の伝統美を書いたもの、モダンな風俗を書いたものまで実に幅広いが)。
逆に芥川龍之介は若い。志賀直哉より十歳近く若い。谷崎潤一郎より六歳若い。川端康成と七歳しか違わない。有名な小説に平安や中国の古典から材を得たものが多く、先にも書いたように老成した感じがあるせいだろうか。
中島敦も芥川龍之介に似て老成しており、太宰治と同い年である。川端康成より十歳も若い。中国の古い話を、やや古めかしい硬い文体で書いたせいのように思う。
思いつきで調べてみただけだが、書くものの題材や文体で作家の古い・新しいの印象が変わるということは言えるかもしれない。あるいは、近代の進歩主義的な考え方が作用して、モダンなものほど新しい世代のものであり、古典的なものほど古い世代のものである、という思い込みが作用しているのかもしれない。