トルコの作家オルハン・パムクの「黒い本」を読んだ。
失踪した妻の行方を探してイスタンブールの街を彷徨する主人公ガーリップのストーリーと、ガーリップのいとこで有名コラムニストのジェラールの書くコラムが交互に出てくる構成になっている。
ガーリップのストーリーでは、「今」のイスタンブールのさまざまな光景の後ろから「過去」のイスタンブールのさまざまな出来事が立ち現れてくる。一方のジェラールのコラムは実に幅広い話題を扱い、技巧的な文体で、時に奔放にイスタンブールの街やさまざまなエピソードを取り上げる。両方合わさって、イスタンブールという歴史が重層する街のありようが浮かび上がってくる。そういう意味では、この小説の主人公はイスタンブールという街とも言える。
海外の小説を読む楽しみのひとつに、一種の世界旅行ができることがある。「黒い本」はまさにイスタンブールを旅している気分にしてくれる。
それにしても、イスタンブールという街はなんと豊穣な歴史、暮らし、エピソード、文化をたたえていることか。現在のイスタンブールは過去のイスタンブールの積み重なりの上にできあがっている。同じような小説を日本を舞台に書くなら、東京では足りない。京都なら辛うじて書けるだろうか。
パムクの文章は絢爛としたフレーズの織り重ねで、圧倒される。たとえるなら、アラベスクの複雑さ、豪奢さを思わせる。ほのかなユーモアもあって、おれ好みだ。
「黒い本」はトルコで大変に売れたそうだ。細部をさまざまに読み解いていくマニア的な人々もいるらしい。傑作である。