昔の日本は美しかった、というようなことを言ったり書いたりする人がいるけれども、さて、どうなのだろう。
例えば、夏目漱石の「坊っちゃん」を読むと、坊っちゃんの狷介な物の見方を割り引いても、松山の中学生のいたずらや口の利きよう、同僚の先生達の陰湿さや権威主義、ことなかれ主義はあまり美しいように思えない。
漱石が「坊っちゃん」を発表したのが1906年(明治39年)。「坊っちゃん」を書く下敷きになった愛媛尋常中学赴任が1895年(明治28年)から1896年(明治29年)である。
発表されたのが日露戦争直後、中学赴任が日清戦争直後にあたる。
「坂の上の雲」を見上げていた明治人は、一方で新米教師の寝床にイナゴを入れたり、おとなしい部下の婚約者を奪ったり、下宿人に骨董品を売りつけようとしたりもしていたようである。
ちなみに、五千円札先生こと、新渡戸稲造博士が「武士道」を書いて欧米に大いに自慢したのが1899年(明治32年)。「坊っちゃん」の時代に重なる。
昨日、良寛ほか、名書の展覧会で「昔の人って、みんな、字が上手かったのねー」とのたまったオバチャンの話を書いた(id:yinamoto:20061010)。
昔の日本は美しかった、という類の物言いも、同じようなものではないか、と思う。
昔の日本には、美しいものも、そうでないものも、醜いものもあった。
しかし、そうでないもの、醜いものは残すほどの価値はないし、なかったことにしてしまいたい気持ちもあるだろうから、消えていく。
そうして、もっぱら美しいものが数多く残る。
とまあ、そんなふうに思うのだ。
ちょっと飛躍かもしれないが、過去の自分が今よりは幸せだったように感じがちなのも、頭の中で、同じように残す/残さないが働くからかもしれない(まあ、幸不幸の感じ方は、個人によっていろいろでしょうが)。
過去は美しい。あくまで今の我々が想像する過去は。
玉石混淆の玉だけ残せば、そりゃ、美しく見えるはずだ、と思うのである。
一方で、石なくして玉ありや、とも思う平成十八年の秋の空。
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「今日の嘘八百」