松山、どうよ

 昨日書いた東北の松島もナニなのだが、四国の松山も今、ナニのようなのである。


 ……と書かれても、読んでる方はさっぱりわからないだろう。それはそうだ。書いているほうもさっぱりわからないのだから。


 ともあれ、松山だ。
 先日、ニュースで見たのだが、今年は夏目漱石の「坊っちゃん」発表百周年ということで、舞台となった松山市では観光キャンペーンを繰り広げている。


 以前から「坊っちゃんスタジアム坊っちゃん文学賞ってどうよ?」と思っていたわたしは、そのニュースを非常に興味深く見た。


 松山と道後温泉の間をおもちゃのような蒸気機関車が走る(これは以前からあるのかもしれない)、昔の女学生のような袴姿に日傘のキャンペーンガールが「マドンナ」と称してそこらじゅうを歩き回る、「マドンナ」の人々が「坊っちゃん」の文庫本を観光客にただで配りまくる、団子を売る(昔から売ってるか……)、「坊っちゃん」の芝居を打つ、「坊っちゃん」と「マドンナ」に扮した駅員が改札に立つ、空港のカウンターでは「マドンナ」がチケットを手配する、「坊っちゃん」100年を記念して道後温泉のホテル・旅館が100円で客を泊める(抽選だけど)、などなど。


 文庫本を観光客に配るのは、松山のイメージという点からして、どんなものか、と思う。
坊っちゃん」では松山の人々がクソミソに書かれているからだ(正確には、松山に限らず、登場人物ほぼ全員、クソミソだが)。
 松山について褒めているのは、温泉と団子と天麩羅蕎麦くらいである。


 まあ、明治のノスタルジーを観光に利用する、という手口であって、そういう意味では、「江戸時代」を利用する京都の東映太秦映画村とあまり変わらない。
 観光振興を図る人達の多くは、小説自体にはあまり興味がないのだろう。それとも、それはそれ、これはこれ、と割り切っているのか。「利用できるものは何でも利用しておけや」のココロなのかもしれない。


 わたしの遊び仲間のエロケンは松山の出身だが、一応、逡巡はあるらしい。「そこんとこ、どうよ?」と問いつめると、郷土愛と恥ずかしさが入り乱れるのか、困ったもんだ、という表情を浮かべる。
 面白いもんだから、時々、問いつめることにしている。