学校教育の話になると、よく「伝統を愛する心を育てる」とか、「伝統を尊ぶ心を育む」とか、そんなフレーズが出てくる。
そういうフレーズに出くわすと、わたしは少々、ギワクのマナザシで眺めてしまうのである。
そもそも、「伝統ってナンジャラホイ」という大問題があるのだが、大問題すぎるので、今は置いておく。
引っかかるのは、なぜ「伝統を教える」と6文字で済むところを、「伝統を愛する心を育てる」だの、「伝統を尊ぶ心を育む」だのと長々しくするのか、だ。
教えたものが生徒にとってよきものに感じられるなら、自然と愛したり、尊んだりするようになるだろう。愛する、尊ぶというのは、結果として個々人の心に起きることだ。
学校では、もしやるというなら、単に「よさ」を伝えるよう努力すれば、それでよいと思う。
しかし、一学級四十人ひとまとめにして、伝統、特に物の感じ方に関わることを教えるのは難しい。
伝統というのは、大なり小なり個々人の生活における物の感じ方、所作、行動様式に根ざしている。そもそも学校教育には不向きなようにも思う。
学校教育において「伝統を愛する心を育てる」、「伝統を尊ぶ心を育む」などと簡単に唱える人は、実は「伝統」個々の内実をあんまり考えていないのではないか、と思う。
別の意図――地域振興とか、集団としての結束とか――があるんじゃないか、と勘ぐってしまう。