クリスマスへの違和感

 この時期になると毎年書いているのだが、おれは「街のクリスマス気分」というやつに違和感があってしょうがない。

 街路樹にLEDが仕掛けられ、夜になると点灯される(あれ、街路樹にしたら休めなくてしんどいんじゃなかろうか)。クリスマスソングがそこらじゅうで流れる。「もうすぐ楽しいクリスマス」などと商店街にアナウンスが流れる。

 あなたたち、キリスト教徒でしたっけ? と思う。

 キリスト教徒がクリスマスを祝うのは当然だ。一年の中でも最も重要な儀式のひとつなのだろう。

 しかし、キリストを信じてもいない人間がクリスマスを祝うというのはなんなのだ、と思うのだ。考えようによっては不誠実ではないか。

 ・・・などという話を以前にキリスト教徒の人に話したら、「うちの神さんはそのへん、寛大だから」と返された。何か変な感じがしたのだが、そのときにはよくわからなかった。まあ、あなたの言う神がいれば、という話ではある。

 考えてみれば、非キリスト教徒がクリスマスを祝うのは、キリスト教徒が初詣に行くようなものではないか、と思う。

 初詣といえば、じゃあ、初詣に行く人はみんな神道の神様を信じているのか、というと、ハテ、ではある。おれは神様の前で手を合わせているときだけはその存在を信じているような気もする。

 同じ伝で、非キリスト教徒がクリスマスを祝うとき、キリストの存在をその瞬間だけでも信じているのか、というとどうだろう。たいがいは信じていないのではないか。単にクリスマスの楽しい気分を借りているだけではないか。そのあたりが、おれが不誠実だと感じる理由かもしれない。

 おれは基本的にいい加減な人間だが、クリスマスを非キリスト教徒が祝うことについては割と厳格におかしいと感じている。

 楽しい雰囲気なら、あるいは商売になりそうなものなら、節操なく取り入れてしまう国だからなあ、日本は(例えばハロウィン)。

 そのうちイスラムラマダーンや、ヒンドゥのディワリまで取り入れてしまうんじゃなかろうか、この国は。