起きていたことの歴史とファンタジーとしての歴史

 立川談志が何かの噺のマクラでこんなことを言っていた。

「最近は本当の歴史を教えないでしょう。本当の歴史というのは、国定忠治とか、鼠小僧次郎吉とか、ピストル強盗清水定吉とかね」

 どの噺だったか思い出せず、うろ覚えで書いた。出てきた人物は間違っているかもしれない。

 談志の言う「本当の歴史」というのはアイロニーではなく、日本人が心の中に持っておくべき本当の歴史、と言いたかったんではないかと思う。

 先週、司馬遼太郎について書いた。その中で「司馬遼太郎をもとに歴史を語るのは、滑稽である。」と書いて、自分でも少し引っかかっていた。本当に滑稽だろうか。

 歴史にも2種類あると思う。

 ひとつは、史実や、人々の集団・経済・産業・技術・文化・地理などの変化を研究する起きていたことの歴史である。学校で教えるべきとされるのはこちらの歴史だ。

 もうひとつは、講談や芝居、読み物、映画、ドラマなどの中で培われてきたファンタジーとしての歴史である。英雄譚を主とした伝説の世界と言ってもよい。伝説と言っても古代にまで遡る必要はなく、幕末から日清・日露戦争あたりの人物も伝説化しているし、この頃では日中戦争・太平洋戦争の人物の伝説化が進んでいる。「信長・秀吉・家康に見るリーダーの条件」みたいな話も、ファンタジーとしての歴史である。

 先週書いた司馬遼太郎はふたつ目のファンタジーとしての歴史の書き手である。小説家(読み物作家と言ってもいい)だから当然である。ただ、あの人の厄介なのは史料や記録の類を話の中に織り交ぜて、いかにも起きていたことのように見せるテクニックを多用したことだと思う。まるで起きていたことの歴史のように読ませてしまう。

 司馬遼太郎の作品は本質的には英雄譚、ファンタジー、伝説であって、それは講談などの流れを汲むものである。面白いエピソードをつないで長い英雄譚をつくるのが仕事の人だ。ところが、虚実まじえるうちに、NHKをはじめとするメディアを通じて、起きていたことの歴史の大家のように祭り上げられてしまった。なんとなくの印象だが、NHKの番組に出たときの控えめな語り口からすると、司馬遼太郎本人もその矛盾は感じていたのではないか。

 起きていたことの歴史とファンタジーとしての歴史のどちらが重要か、と言われれば、どちらも、である。民族という言葉は人を雑にくくるのであまり使いたくないが、ある集団に帰属すると考える人々にとって、ファンタジーとしての歴史や伝説(日本なら赤穂浪士国定忠治の世界)はアイデンティティーや価値観や行動規範を伝える役目も担っている。それは「ファンタジーだから」という理由で簡単にポイできるものでもないだろう。義経の物語や石川五右衛門や次郎長一家を、史実と違うからポイというわけにはいかない。よしあしは別として、人の心のある重要な部分を担っているものだと思う。

 まあ、起きていたことの歴史とファンタジーとしての歴史は区別しておいたほうがよいとは思う。事実としては嘘だけど、心の中の大事な光景としては存在する、なんてこともあると思うのだ。