まあ、「民衆嫌い」とまで言うと言い過ぎなのだけど、「民衆」という言葉を見るたび、聞くたびにおれは抵抗感を覚える。
高橋敏著「国定忠次の時代 読み書きと剣術」を読んでいて、「民衆」の連発に何だか嫌になってしまった。例えば、こういう書き方。
皮肉にも石高制下の稲作優先社会にあって疎外されていた畑作が、幕藩制の支配原理を超えて民衆に民富を約束し、新しい時代を準備したのである。
当時の上州の社会状況と、それを冷めた眼で見る民衆の政治意識を、瞬時ではあるが噴出させているようにも考えられるので、長いが全文を引用しておく。
この意識形成の基盤となったものこそ、民衆の読み書き算用能力獲得にほかならないのである。
自らの感慨を文字であらわすことの稀であった民衆の忠治に対する思いは、直接手に取って知ることはできない。民衆の心意を伝えるものとして今日八木節の伝統芸能となって演じられるものの原典ともいうべき「忠治くどき」が考えられる。
ハイハイハイ、わかりました。
おれがいつも思うのは、民衆、民衆と十把一絡げにするけれど、一体、民衆というのは何じゃらホイ、ということである。まあ、おそらく支配階級に対するもの、というくらいの意味合いなんだろうが、そんな雑にくくっていいもんなんだろうか。百姓Aさんと百姓Bさんと百姓Cさん、あるいは商店主と丁稚、出入りの魚屋、大工、大工の親方、そのまた元締め、め組のかしら、飯売女、茶屋の娘さん、小寺の寺男、住職、いかけ屋のおっちゃん、質屋の手代、博打打ち、乞食、乞食の親分、人足、女衒、それらみんなを「民衆」などとまとめるのは雑にすぎるんじゃないかと思うのである。そもそも民衆なんて実体としてあったのか。
あるいはこんな書き方。
これら我が国の近代化を自らつくり出していった民衆の実像を具体的事実の世界で描き出し、提示することが求められているように思う。
民衆のエネルギーが農民剣術の武力に結集されて、暴発の機会をうかがっているの感もしないではない。
一言でいえば、上州の“絹の社会史”とも呼ぶべき、絹業がもたらした社会変動を生き抜いた民衆の歴史創造であろう。
ハードな制度史・政治経済史の向こう岸にあって躍動する民衆の実像を、庶民列伝の形式で女性の一代記として追求してみたいと思った。
民衆はたいてい創造し、エネルギッシュで、生き抜き、躍動するもののようなんである。おれはあんまり不活発な民衆とか、ダメな民衆、情けない民衆という書き方を見たことがない。逆に、「躍動する支配階級」とか「支配階級のエネルギー」なんていうのも見たことがない。
著者の高橋敏は国立歴史民俗博物館の名誉教授だそうだから、民衆を取り上げるのは学問の流れやロマンチシズム、クセみたいなものもあるのかもしれない。また、1940年生まれだそうだから、若い頃に安保闘争に代表される時代の空気を感じてきた世代でもあるのだろう。偏見かもしれないが、民衆に対するロマンとか、民衆の神格化というのは、一時ブイブイ言わせていたマルクス主義的な物の見方が炭化して残っているもののようにも思う。
……しかしねえ。民衆。何なのだ、そのまとめ方は。持ち上げ方は。
あの、おれも民衆ッスか? やっぱ、躍動するんスか?