金沢と富山

 月曜から木曜まで富山の実家に帰っていた。
 月曜の夕方に富山に着き、火曜は持ち帰った仕事を泣きながらして、夕方自転車でふらりと田舎のほうへ出かけた。水曜は金沢を歩き、木曜は午前中やはり自転車で田舎のほうへ出かけて、午後に東京に戻った。
 金沢に行くと、毎度のことながら街の文化の洗練度を感じる。別に古い町並みばかりというわけでもないのだが、何とはなしに風情がある。こちらの勝手な思い込みもあるのかもしれないが、加賀百万石の首都としての街の意識みたいなものを感じるのである。あるいは、「低レベルのものは許しませんよ」という軽い圧というか。まあ、実際には金沢にも低レベルのものはあるのだけれども、何かこう、「ああ、低レベルのものね」と小馬鹿にされているように感じるのだ。旅行客のおれをしてそう感じさせてしまう、ああ、金沢の恐ろしさよ。
 そうした街の洗練というものがどういうふうにして育っていくのか、興味深い。金沢と同じくらい古い街というのは日本にいくつもあるだろう。しかし、金沢ほどの街の洗練を、化け物京都を別とすれば、おれは感じたことがない。
 金沢の幕末の中級武士について書かれた「武士の家計簿」を読むと、武家の間でやたらと贈り物をしているのに驚く。家が傾くくらい無理して贈り物をし合うのである。反物(加賀友禅はさらりと洗練されて本当に美しい)や陶磁器、漆器などを行事のごとに贈答し合う。そんなやりとりの習慣の中から金沢の工芸品は育っていったのだろう。
 もちろん、今の金沢に住む人のほとんどは工芸品のことなど普段は意識にのぼらないだろうと思う。しかし、工芸品、料理、建築、茶事、あるいはそれらをくるむ洗練へのマナザシが街のどこかにある、ということから、低レベルのものに対する冷ややかさが生まれるのではないか。

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

 おれの生まれ育った富山市加賀藩支藩で、富山県は旧富山市以外のほとんどが加賀藩の領地だった。富山藩は加賀藩の中の陸の孤島のようなところであり、分家筋だから格の点でもだいぶ落ちたのだろう。江戸時代以来の独特の文化と呼べるほどのものはなく(製薬業が多少盛んだったくらいである)、街にも洗練に対する意識は薄い。質実といえばそうも言えるし、深みがないといえばそうも言える。
 今回の帰省では、冒頭で書いたように、空いた時間はやたらと自転車に乗って田舎を走っていた。富山県というのは大きな扇状地で、ひたすら平らかである。平野の真ん中に呉羽山というミミズ腫れのような山(というか、丘というか)があるくらいで、あとはほとんどが平地。北アルプスから下る川が多く流れている。そして、水田化率は驚異の96%で、平地のほとんどが田んぼである。
 富山にいた高校生の頃まではそうした田んぼの景色が変化に乏しく、田舎くさく、疎ましく覚えた。今回、自転車で走ってみて、延々と広がる田んぼの風景のなか、田舎道の真ん中をママチャリで行くのが意外と心地よかった。籾を付け始めた、しかしまだ青々とした稲も美しい。年とったゆえのノスタルジーだろうか。帰属意識が小さくなった分、旅行体験的に楽しく思えたのだろうか。