萬歳の後継

桂吉坊がきく藝」の喜味こいし師匠との対談を読んでいて、ふと思い当たったことがあった。

桂吉坊がきく 藝 (ちくま文庫)

桂吉坊がきく 藝 (ちくま文庫)

 2011年に亡くなった喜味こいし師匠は、兄の夢路いとしとともに長く漫才をやってきた。最初は子役として出発し、その後、萬歳(漫才ではない)の荒川芳丸に兄弟で入門したという。萬歳は鼓や三味線などを持って歌と掛け合いをやる。元々はおそらく門付などを行う放浪芸だったのだろうが、いとしこいしが入門した頃には舞台での興行で食べていたようだ。
 こいし師匠の話。

うちの荒川芳丸師匠が「いいか、もう鼓をたたいたり歌を唱ったりという萬歳は古くなっているのだ。今、大阪に(横山)エンタツ・(花菱)アチャコというお方がしゃべるだけで漫才をやっている。お前ら子供でこれからなんだから、大きくなったときのためにもしゃべるほうにしたらどうだ」と、師匠が許してくれたんでね、それからしゃべり専門になった。

 漫才が萬歳から生まれたというのは知識としては知っていたけれども、その変化していく具合がわかるような話である。

子供が背広着て、ただしゃべるだけで、地方のお客様は満足なんかせいへんよ。やっている最中に「萬歳やれ」と言われるのだ。今、「漫才」やっているのになと思うけどね。昔のお客さんは歌や鼓、三味線なんかが入ってはじめて「萬歳」やと思っているから。客席から靴が飛んできたこともあったな。

 ふと思い当たったことというのは(もしかすると演芸通の人には常識なのかもしれないが)、楽器入りの漫才のほうがしゃべりのみの漫才より萬歳の後継として正統なのではないか、ということだ。
 今ではコンビ〜グループの大衆演芸というとしゃべりの漫才かコントが主流だけれども、以前は楽器入りのコンビやグループが随分といた。かしまし娘宮川左近ショウ、ちゃっきり娘、横山ホットブラザーズ内海桂子・好江、玉川カルテット……。もちろん、節回しの様式なんかは萬歳の頃から全然変わったのだろうけれども、楽器を持って掛け合いをしながら歌を差し挟み……、あるいは、歌を唱いながら掛け合いを差し挟み……、という形式は萬歳から色濃く受け継いでいる。宮川左近ショウ玉川カルテットなんて、様式の点でもほぼ萬歳と呼んでいいのではなかろうか。
 ――しかし、書いてみると、同語反復というか、当たり前のことを書いているだけの気がしてきたな。
 くじけずにさらに言うと、いわゆるボーイズ物のほうがある意味、漫才より萬歳の後継に近いともいえる。そうすると、実はポカスカジャンが萬歳を継承している希少な存在ということになる(ポカスカジャンもすっかりベテランの域だけど)。楽器に歌と掛け合い、という形式はしゃべりの漫才より何ごとかを寿ぐ雰囲気をかもし出しやすく、現代なりの展開ができそうな気もする。日本の大衆芸能の継承と未来はポカスカジャンにかかっている、のかもしれない……のかもしれない。


将来は「萬歳」の人間国宝重要無形文化財保持者)だろうか……。