喧伝習性

 人間にはどうも面白いこと、驚いたこと、腹立たしいこと、悲しいことを人に伝えずにいられないという喧伝習性があるようだ。アラ・タイヘン習性と呼んでもよい。

 正しいかどうかではなく面白いかどうかで伝わるか伝わらないが決まるといういわゆるオモシロヘンデスの法則もそのひとつである。俗説、都市伝説の類はこれであって、皇室および長嶋方面はオモシロヘンデスの宝庫だ。「あそこのご夫婦仲、本当は悪いそうよ」なんていう男からするとどうでもいいようなことが主婦の間でわっと広まるのも一種のオモシロヘンデスであって、周知の通り女性週刊誌は現代においてこれの代替機能を担っている。

 ある話が面白いというのは受け取る際の問題で、そこで止めておくこともできるのだが、人間は面白いことを知ると人に伝えずにいられない。驚いたこと、腹立たしいこと、悲しいことについても同じだ。まあ、そういう習性があるからこそ、万葉の昔の防人に行った夫を思う女人の悲しみなんていうものが時空を乗り越えて現代にまで伝わっているとも考えられる。

 喧伝習性が人間の生得的なものなのか後天的なものなのかそれともその両方の混じったものなのかはわからない。もしかすると、外敵を発見したとき仲間に知らせる習性みたいなものが変形したのだろうか? ニホンザルがキーキー騒ぐように。本当は「喧伝本能」「アラ・タイヘン本能」と書いてみせたほうがインパクトは強いんだが、本能というのは生得的なものに使う言葉なので、ここでは涙を飲んで喧伝習性と呼んでおく。

 おれはTwitterをやっているのだが、Twitterにはリツィートという機能ないしは手法がある。他の人の書き込みを面白いあるいは重要だと思ったとき、その書き込みを紹介するというものだ。たとえば、「稲本は実は凄まじい美男子である」と誰かが書き、それを読んで「!」と思った人が紹介するとする。100人の人がリツィート(紹介)して、それをそれぞれ100人の人が目にすれば、100人の紹介×100人の受け手=1万人へとあっという間に稲本美男子説が広がるわけだ(実際にはダブる受け手もいるから1万人にはならないが)。でまあ、その1万人の中にも「!」と思う人がいるから、さらに広まって・・・・・・と伝達のスピードは口コミの比ではない。まさに噂は燎原の火の如く、というやつである。

 ただし、実際に広まるには、

1. 周知のことではない
2. 面白い/驚く/腹立たしい/悲しいなど、著しく情動を刺激する

 という2つの条件の両方を満たす必要がある。「周知のことではない」というのは「実はね・・・・・・」という隠微な秘密感も伴うから、これはデマが広まるには恰好の条件とも言える。2については、ある情報に情動を著しく刺激される人の範囲があって、情報の伝達度を左右する。たとえば、ある友達についての噂はその人を知っている人の間にとどまるだろう。一方で、大規模自然災害や911のように広く多くの人の情動をゆさぶるものもある。

 デマというのは理性が働くときは割に鎮火しやすい。本当かよ、まーたデマ飛ばしちゃって、と検証・牽制しようとする意識も働くからだ。しかし、大災害、異常事態などのパニックで理性がアラエッサッサーとなったときには、抑止力が効かない。もし今、オイルショック時の買占め騒ぎや、関東大震災米騒動並みの事態が起きて、理性が一時的にでも働かなくなったら、Twitterはどう機能するのだろうか。恐ろしい気もする。

 ところで、今まで黙っていたが、本当におれは凄まじい美男子である。この後どうするかは、読んだ方それぞれの理性にゆだねたい。