ぶしつけと距離感

 そのものズバッと直言するときに、「ぶしつけですが」と前置きをすることがある。漢字で書くと「不躾」で、「しつけがなっておりませんで申し訳ありませんが」というような意味なのだろう。なかなか謙虚で、よい感じの言葉だと思う。

 相手と顔を合わせて話をするとき、日本人には言葉を丸めたりやわらげたりする習性があるようだ。「ぶしつけですが」という言い方もそうだし、あるいは「ちょっと」とか「少々」、「そのあたりの」などと言葉を弱めたり、ぼかしたりする表現も、相手とのガッツリぶつかり合いを避けるところから来ているように思う。下手すると、「少々腹が立って、ちょっと怒髪衝天でした」などと、わけのわからない言い方になりかねない。

 しかるに、ネット上のコミュニケーションとなると、いきなりぶしつけだらけとなるのはどうしたことなのだろうか。「馬鹿はおまえだ」などと平気で書かれるし、こっちもその手の強い言い回しをしがちになる。

 あるいは、本屋に行くと、強いタイトルの本をたくさん見ることができる。先日「なのか」系タイトルの本について書いたが、「なさい」系タイトルの本というのもあって、例えば、今、Amazonの和書のコーナーで「なさい」と検索すると、

「見えない時間」で稼ぎなさい!
銀行と闘って会社と自分を守りなさい!
ただ、顧客のために考えなさい
ノートは表(おもて)だけ使いなさい
中小企業は「環境ビジネス」で儲けなさい!
…

 などというタイトルが並ぶ。これら、もし直接顔を合わせて言われたら「何をいきなり偉そうに」と思うだろうし、知りもしない人から藪から棒にノートの使い方なぞ命令される筋合いはないと思うのだが、まあ、こういう強い物腰のタイトルは多い。

 直接会うと腰が低い、もしくはへりくだる、弱気になるのに、顔を合わせないと強気になる。これはどういうことなのか。日本人の美徳について謙虚・謙譲などと言われることがあるけれども、どうもそう単純なことでもない気がする。