引っかかる言い回しというのがいろいろあって、例えば、「年を重ねる」なんていうのがそうだ。
普通に「年をとる」でいいじゃないか、と思うのだが、たぶん、そういう言い方をしたくないのだろう。
そのわだかまりがかえって切ない。
「年をとる」という言い方のジジむささ、ババくささが嫌なんだろう。
かといって、今さら「若い」とも言い張れない妥協点。「年をとる」を「年を重ねる」と言い換える心理は、そんなあたりだろう。
考えてみれば失礼な話で、じゃあ、現実のジジイ、ババアはどうすりゃいいのか。
「年を重ねる」という言い方には、「梨(ナシ)」を「アリの実」と言い換えるような美辞の感覚もないことはなしのありの実んAなんだろうが、一方で、事実の隠蔽という深い闇がそこにはある。
無駄な抵抗はよしなさい、と思うのだ。
いくら取り繕ったって、年をとると、志ん生の言う「何か食べると顔中いのい(動い)ちゃったり」なんてことになるわけだから、それはもうそういうもんで、しょうがない。
一体に、日本では(外国のことなんざ知らんけど)若いということを尊びすぎるきらいがあると思う。言っとくけど、負け惜しみじゃないよ。
セクシィ方面では、子作りの本能から来るのか、若さならではのよさ、というのは、まあ、ある。
しかし、若いということは、一方で恥ずかしい。当人達がそれにまた気づいていないから、なお恥ずかしい。
わたしは、若い頃、栄光というものにあんまり縁がなかったから、なおさらそう思うのかもしれない。何だ。やっぱり、負け惜しみだ。スンマセン。
しかしねえ、せっかく年とったんだから、年とったなりでいたらどうか、と思うのだ。
ダメになってきた部分、ガタの来た部分は、まあ、多少の修繕は試みるとしても(痛い、苦しいってのはヤなもんだからね)、そういうもんだと受け入れたほうが、書き割りの裏が見えるみっともなさよりはマシだろう。
年とったことを認めて、初めて見えるものもある。イナモトヨシノリ40歳、最近、ストレッチ、特に肩と背中のあたりのソレが気持ちいいのだ! 若いもんにはわからんだろうが!!
漱石先生のお言葉である。
鍍金(メッキ)を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。
(「それから」より)
ま、これはこれで失礼な言い草だけどねえ。
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「今日の嘘八百」
嘘四百二 寿老人が若づくって、随分悲惨なことになったらしい。