土曜に用事があって、立川に行った。
だいぶ早く着いてしまった。近くに公園があり、桜が咲いている。
昼間だが、コンビニでカップ酒を買って、ベンチでちびちびやることにした。
さほど広い公園ではない。
大通りに面していて、児童公園と一緒になっている。
しかし、半分は大人向け(?)のスペースになっていて、ベンチに老夫婦やなんかが座っている。
わたしには、児童公園でカップ酒を飲む勇気はない。
酒飲みながら「あの子、可愛いなあ。この子も。うひひひひ」などと笑っていると、今の時代、アヤシの男に間違われかねない。今の時代じゃなくとも、十分アヤしいか。
児童公園でなくとも、昼間に人が行き来するところで飲むのに、ちょっとは抵抗がある。しかし、一口飲み出せばどうでもよくなってしまうのだから、酒というのは便利なような、困ったような。
大人向けのスペースのほうで、ちびちび飲みながら、文庫本を読んだり、桜を眺めたりしていた。
時折、薄雲がかかるけれども、まあまあ、天気のよい日だ。
花は結構散っていたが、まだ残っている。幹の下のほうから日に透けるようなみずみずしい新芽が出ているのも、それはそれで好ましい。
時折、風で桜がはらはらと散る。ぼんやり見ているうちに陶然とした心持ちになってきた。
「ぼかぁ、幸せだなあ」と思った。加山雄三方面とはえらくかけ離れたシチュエーションである。
酔いによる錯覚なのだが、錯覚でもシヤワセはシヤワセである。でも、こういうのは麻薬にハマる人と同じ理屈なのかしらん、などと、うがったような、飛躍したような、でもどこか当たっているようなことを考えた。酔ったとき独特の推察である。
集まってわっとやる花見も楽しいけれども、ひとり桜の下でだらんとしているのもいい。
そうそう、もうひとつ、酔ったとき独特の発見があった。
散る桜に悲しみを覚える人はいるけれども、散る桜自身を悲しんであげる人はいない。
どうでゲス。
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「今日の嘘八百」
嘘四百一 「ガンマGDP」というバーを見つけたが、客は見事にひとりもいなかった。