昨日、写真部春の撮影会で、井の頭公園に行ってきた。
写真部というのは、腐れ縁の、というか、まんま腐ってしまった男女何人かでやっている部だ。
たまに集まって、撮影会をやる。そうして、お互いが撮った写真を見せてはボロカスにけなし合うという、実に醜い集団だ。
本当は早く足を洗いたいのだが、「抜ける」と口にした瞬間、いきなり全員に抑えつけられる。右腕にキティちゃん、左腕に小公女セーラの入れ墨を彫られる。トドメとして、額に警視庁のピーポ君の焼きゴテをジューッと押しつけられる。
これでは、その後の人生設計というものがメタメタになるので、嫌々ながら続けているのだ。
まあ、そんなことはどうでもよい。
井の頭公園は東京の吉祥寺近くにある、そこそこ大きな公園だ。
昨日は天気もよく、桜が満開で、花見客でごった返していた。
桜はいいのだが(あれだけ大量の桃色を見ていると、だんだん気が変になってくるが)、気にくわないものがあった。
ビニールシートだ。
自分で用意するのか、公園側があらかじめ敷いておくのか知らないが、花見客が座っているのは、ほとんどが表面がテカテカしたブルーのビニールシート。
満開の桜の下に、ブルーのビニールシートである。風情も何もあったもんではない。ここは被災地か!?
毛氈なんていう上等なものでなくてよい。ゴザ、ムシロ、で十分だと思うのだが、今はゴザ、ムシロも値段が馬鹿にならないのだろうか。
似たような興ざめのものに、幕の内弁当なんかに入っている、笹か何かを模したグリーンのビニールのビラビラがある。
あれは悲しい。確か、椎名誠が昔、エッセイで「この世からなくしていいもの第一位」に選んでいた記憶がある。一票投じたい。
本物の葉だと高つくし、時間が経つと変色してくるし、というので、代用品として生まれたのだろう。
しかし、風情のほうは全く代用できず、単に弁当の安っぽさを強調し、ゴーセイチャクショクリョーだのカガクホゾンリョーだのジンコーテンカブツだのの存在を想起させるのみ。
「とりあえず、彩りとして入れておけや」という安いセンスとコスト意識がまた悲しい。
あれだけ多くの人が桜を見に来るのだから、風情を求める心がなくなったわけではあるまい。
ああいうビニールシートやグリーンのビラビラをのさばらせておく、というのは、何かが麻痺している、ということなのかもしれない。
私達は、いったい、どこで間違ったのか?
ブルーのビニールシートは、まだ被災地や工事現場で役に立つから大目に見ておいてやる。
しかし、グリーンのビラビラには何ら存在意義というものを見いだせない。
私はここに「グリーンのビラビラ追放委員会」の設立を宣言するものである。