マーケティング方面にイノベーター理論というのがあって、真新しいテクノロジーや製品、サービスをいつ頃受け入れるかを5つに分ける。早い順にイノベーター、アーリーアダプター、アーリーマジョリティ、レイトマジョリティ、ラガードという。
イノベーターは真っ先にイノベーティブなものを取り入れる人、いち早く取り入れるのがアーリーアダプター、割りに早めなのがアーリーマジョリティ、遅めなのがレイトマジョリティ、よほど普通のものにならないと取り入れないのがラガードと言われる。最後のラガード(Laggard)は「のろま」「ぐず」という意味だから、このイノベーター理論を言い始めた人は鼻持ちならない感じはする。
おれについて言うと、たいがいのものに対して、レイトマジョリティあたりだろう。「んじゃま、そろそろ使ってみるかね」くらいのものであるし、それで特に困ることもない。
ワカゾーだった頃はMacや音楽ソフトなんかがどんどん発展していて夢中になったりしたが、30代の頃から新しいものに対して「へええ」くらいの態度になり、今では「はああ」である。こういう態度を小馬鹿にしたくなる人もいるのかもしれないが、まあ、お互い別の世界で生きていこう、バスで会っても知らん顔しよう、と思う。
新しいテクノロジーというのはたいがい風情がない。味わいがない。あっても、薄っぺらい。
立川談志が何かの話のマクラで、「文明というもので満たされない人にうるおいを与えるのが文化でしょう」というようなことを言っていた。正確にはちょっと違ったかもしれない。
ともあれ、談志の言う「文明」をテクノロジーに、「文化」を風情・味わいに置き換えてもよさそうだ。「テクノロジーというもので満たされない人にうるおいを与えるのが風情や味わいでしょう」というわけだ。
面白いもので、最新のテクノロジーと思われていたものも、だんだんと風情・味わいを身につけていく。ピカピカの最新鋭だった建物がだんだんヨレ、すすけてきて、ひびが入ったり、植物に取り巻かれたりして、味わいが出てくるようなものだ。テクノロジーだけだと、そのうち面白くなくなってくるんだろう。
風情・味わいが出てくる頃にはテクノロジーとしては時代遅れになっているのかもしれないが、なに、風情・味わいがあればいいではないか、と思う。おれたちは別にテクノロジーに仕えるために生きているわけではないのだ。