陰謀論というのがあって、政治経済方面ではユダヤ人陰謀論というのが昔から根強いが、近頃では政治経済のヤバそうな感じも手伝ってか、中国人・朝鮮人陰謀論が伸張しているようである。
先日、あるサイトを見たら、○○人陰謀論について語った後で、「反論する者がいたらそれは○○人工作員である公算が強いから、気をつけなさい」というようなことが書いてあった。批判封じの素敵な手を思いつくものだと感心した。
個々の陰謀論についておれにはどうこう言えない。何せ陰謀であるからして、おれなんぞに真相がわかるわけがない。なのであくまで一般論だが、政治経済というのはハテ陰謀でどうこうできるほど単純なものなのだろうか。どうこうできたんなら、陰謀にやられた側の単純さをどう考えればよいのか。
たいがい世の中の仕組みというのはややこしくて、いろんな勢力や個人がああ動かしたいこう動かしたいと別の勢力や個人に働きかけている。全体の見取り図をつかむのが難しい。陰謀論が時として人を惹きつけるのは、ややこしい、わけのわからない事柄を、陰謀という単純な形で解き明かして見せてくれるからなのだろう。
しかしまあ、例えば、天候の変化の理由をひとつの低気圧にだけ帰するわけにはいかんのであって、ああいうものはいろいろな要素がからみあって押し合いへし合いしている。だから気象学というものが今でも研究されているのだし、解析のためにスーパーコンピュータのお世話になったりするのだし、それでもやっぱり天気予報が外れたりするのである。
三次方程式が難しいからといって、一次方程式に書き換えて解いてみせても意味はないのであって、陰謀論というのはたいがい同じような愚を犯していると思う。
まあ確かに、世の中に陰謀というのはいろいろあるだろう。ただ、陰謀やらその他の何やかやが複雑にからまりあって社会というのは動いているのであって、もしひとつの陰謀で社会が望むように動くんなら、そりゃよほどその社会が単純(間抜けといってもよい)か、あるいは陰謀した人が神に近いレベルで優秀なのだと思うのだが。
陰謀論はなぜ流行るのか? 実はおれはその答を知っている。金星人の陰謀なのである。