ある抵抗感

 12月24日にはSNSで「メリークリスマス!」が連発される。毎年、この時期になると感じるのだが、あれ、抵抗感を覚えないのだろうか。

 クリスチャン、あるいはそれに近い心情の人たちがメリークリスマスを言うのはいい。それは信者として当然だ。しかし、そうでない人たちがメリクリ、メリクリ、メリクリ言っているのを聞くと(読むと)、あんなあ、おまーら、と谷岡ヤスジの登場人物と化して疑問に思うのだ。

 よく日本人は正月に神道(初詣)、お盆・お彼岸に仏教、クリスマスにキリスト教、などと言われる。もちろん、日本人だから全てがそうというわけではないが、割とのんきに宗教がらみのイベントを受け入れる人は多いと思う。

 自分の身をふりかえってみると、確かに、神社に行けばそのときには神道の神を多少は信じている気になるし、お墓参りすれば仏教というか、あの世的なことやアニミズム的なものを少し考える。法事に坊さんの説教を聞けば仏教的な価値観を近しいものに思う。いい加減といえばいい加減だが、その時々で態度や立場をすりかえる、なかなかに素早い身のこなしではある。

 クリスマスを祝うのも同じようなことだろうか。しかし、クリスマスで騒いでいる人たちのみんながみんなイエス・キリストの誕生を祝っているとも思えず、要は楽しい年中行事、さまざまな道具立てで華やいだ気分になるイベントとしてメリクリ、メリクリ言っているんではないか。

 おれはお祝いごとやお祭りごとがあんまり好きではなく、めでたい気分になるのは正月くらいである。誕生日も、クリスマスも祝わない。おまけについ物事を斜めに見てしまうクセがあるから、そんなふうに感じてしまうのかもしれないが。

 最近は若い人を中心にハロウィンを祝うようになってきたし、そのうち、感謝祭やらラマダーンやら始めるんじゃないかと、少々あきれて世の中をおれは見ている。