年をとる

 畳の上やなんかにあぐらしていて、立ち上がるときに「ヨッ!」とか「ヨッコラショ!」と自分が声を出していることに気づき、苦笑することがある。


 面白いもので、年をとると自然にそういう掛け声を出すようになった。


 こういうことというのは、別に習い覚えることでもないし、「そうすべき」という種類のものでもない。どういう仕組みで「ヨッ!」とか「ヨッコラショ!」と言うようになるのか、不思議なものである。


 ここに時折、「世の中、若いことを素晴らしいと、もて囃しすぎるんじゃないか」というようなことを書くことがある。


 白状すると、半ばは悔し紛れである。
 やはり、筋力はあったほうがいいし、肌なんかも乾燥していないほうがよい。首を曲げたとき、いちいちガキゴキ鳴らないほうがいいし、ストレッチの気持ちよさを知るよりはストレッチなどせずに済むほうがよい。


 しかし、世の中うまくしたもので、今、若い人だって、いずれは年をとるのだ。キヒヒヒヒ。
 人を引きずり下ろす、あるいは巻き添えにする暗い喜びに、イナモトヨシノリ・40歳・今年は本厄、ただ今、うち震えております。


 年をとるにつれ、いろんな変化が起きる。


 例えば、あまり諍いを好まなくなる。
 いや、正確に言うと、カッカと怒ったり、激発したりはするのだが、長く諍いを続ける気力がなくなる。


 よく「人間が丸くなる」なんていうし、ま、確かに年をとると丸くなる気もするが(体型の話ではない)、実は気力が続かず、面倒くさいせいも、だいぶあるのではないか。


 考え方がだんだん保守的にもなってくる。


「リベラル」とか、「アバンギャルド」とか、「ラジカル」なんていうものに若い頃は惹かれたけれども、年をとるにつれ、「なーんか、そーゆーのもねー」と鼻くそホジホジ的態度が濃厚になってくる。
「叩き壊した瞬間は気持ちいいだろうけど、で、その後、どうなるんだ」、と。


 ビートルズのメンバーでいえば、「所有なんてないと想像してご覧」といきなり乱暴なことを言いだすジョン・レノンより、モリージョーンズさんのことや、写真が自慢の床屋さんや、砂時計を宝物にしている消防士さんのことを歌うポール・マッカートニーのほうがしっくり来る。
「所有なんてないと想像してご覧」と言われたって、「そりゃ、困ったことになる」って話だ。


 以上は、もっぱら、わたし自身の話なのだが、ぼんやり観察している範囲では、年をとっていく他の人にも、割に言えることだと思う。


 こういうことというのは、頭では理解できない。
 お若えの、いずれは全身でガキゴキバキと実感するときが来るぜい。

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「今日の嘘八百」


嘘五百八十三 若さとは剣、年をとるとは盾である。