年をとる

 この頃、物を忘れることが多くなった。


 何かを買いに出てすっかり忘れてしまい、飯を食って帰ってきて、「ああ、飯じゃなくて買いに出たんだった」と思い出したりする。


 思い出しては買いに出かけ、飯を食って帰ってくるものだから、1日に32回も食事しなければならないことになる。不便なものである。


 言葉が出てこないこともある。
 人の名前は最初から覚える気がないので、出てこないのは当たり前なのだが                                                                                                                                                                                                                                                                           


 あ、今、「普通名詞」という言葉がしばらく出てきませんでした。


私の頭の中の消しゴム」どころか、「私の頭の中のトルエン」くらいの勢いである。消える、消える。おまけに頭がクラクラする。


 年をとると、きちんと老化現象が進むもので、面白いものである。


 時折、「年をとる」という言い方を、「年を重ねる」、「年齢を重ねる」という言い方に変えている文章を見かけることがある。


 宣伝か何かだと、ああいうのは美辞麗句、誇張とゴマカシが基本路線だからいいのだが、普通の文章で読むと、かえってひっかかる。
 おそらく、「年をとる」という言い方をしたくないのだろう。


 わたしも、さっき書いたみたいに物を忘れやすくなるし、体のあっちこっちつっぱらかってきて、若いほうがラクでいいよな、と思うこともある。
 しかし、「年を重ねる」とか「年齢を重ねる」と言い換えるのは、かえって切ない。バンチョさんの頭髪。すぐにバレるゴマカシである。


 年をとれば、年をとるんだから、「年をとる」でいいではないか、と思う。不便なことがあったら、笑っていればいいのである。


 そもそも――これはもっぱら私の場合だが、巻き添えにしてやりたい気持ちも少しある――若い頃だって、ロクなものではなかったのだ。ゴマカシたところで、元があれじゃあ、何がどうなるものでもない。


 もちろん、こういうことというのは悔し紛れに書いているわけだが、人間、誰しもいずれは体験しなければならない悔し紛れである。お若えの、おれは待ってるぜ。

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「今日の嘘八百」


嘘五百六十四 実は老化現象を抑える薬はとうの昔に開発されているのだが、化粧品業界、健康食品業界、美容業界、それから医者が困るので闇に葬られた。