年を重ねる

 おれがよく抵抗を覚える言い回しに「年を重ねる」というのがある。
 商品広告、例えば、化粧品などの広告コピーで「年を重ねる」と書くのは、まあ、わかる。「年をとる」とストレートに書くと嫌がられるからだろう。「年をとると、人間シワくちゃ、シワだらけ」とダイレクトに書くのではなく、「年を重ねるにつれ、目尻などを中心に自然としわが目立ちがちになるもの」などとソフトに着地させる。大人の事情というものだ。化粧という行為の本質であるゴマカシというコンセプトにもかなう。
 しかし、ブログやコラムなどで自分のことについて「年を重ねる」と書くのはどうなんだろうか。抵抗感ないのかと思う。
 年をとると、いろいろと不都合なことは出てくる。シワもそうだし、体力は衰え、思考はにぶり、記憶力はもっとにぶり、体や精神の弁がゆるんで思ったことがつい口から漏れたり、あらぬものがあらぬところから漏れたり、鼻水が垂れたり、何か食べると顔中動いちゃったり(これは志ん生師匠のフレーズ)する。不愉快なことではある。
 まあね。そうなんだけどサ。現実を直視して、素直に行きましょうや、とおれなんぞは思う。年をとれば、年をとるんである。漱石先生も、「それから」の中で「鍍金(めっき)を金に通用させ様とする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である」と書いている。
 おそらく、「年を重ねる」という表現のイメージは「年輪を重ねる」から来ているのだろう。だんだんと幹が太くなるよいイメージもあるのかもしれない。
 しかし、「年を重ねる」をこういうビジュアルイメージで捉えたらどうなるだろう。

 ワッハッハ。ザマーミロ。これでもあなたは「年を重ねる」と書きますか? 一年一年、一歩一歩、重荷が重なっていくのですよ?? 人生とは所詮、石責めなんじゃあ、ありませんか??? 誰に言ってるんだか、自分でもわからないが。