醗酵した言葉・腐った言葉

 醗酵することと腐ることというのは、生物学的にはほとんど同じ現象であるらしい。微生物がわーっとよってたかって有機物の組成を変化させて、それが人間にとって有用なら醗酵、有害なら腐敗と呼ぶようだ。

 ただまあ、線引きはなかなか難しくて、慣れや好み、育ってきた文化なんかも関係する。納豆・クサヤの臭いは初めて接したたいがいの外国人には暴力的であるらしいし、逆にわたしからするとヨーロッパのチーズの中には味も臭いも実にもって強烈至極、なぜにこのようなものを好き好んで食するのかとはなはだ疑問に感ずるものもある。その手の物は、好まない人間からすると「腐っている」と判断されてもしょうがないのだ。

 でもって、言葉にも醗酵と腐敗があるように思う。流行語というのがそうで、流行りのものだから、ダメになるのもまた早い。足が早いというのだろうか。ちょっと前に流行った言葉というのは、聞くほうが妙に気恥ずかしくなるもので、たとえば、「ネチケット」なんていうのは、今使うと猛烈に恥ずかしい。

「あのさ、そういう書き込みってネチケットに反するよね」

 いやー、強力に腐っております。

 しかし、言葉の面白いところは、腐ったと思っていたものが、しばらく経つとまた別の味わいを帯びてくる(こともある)ことだ。使いようによってはよい具合になる。醗酵してくるのである。

 わたしの今のおすすめは「トレンディー」だ。

「お。トレンディーだね」

 なんていう言い回しは、少し前なら猛烈に恥ずかしかった。しかし、今は一回りして、ダサさがよい具合に醗酵してきている。たとえば、「純喫茶トレンディー」なんていう店名、今のこのタイミングならかなり味わい深い。

「アベック」もなかなかよいと思う。「カップル」という言い方に置き換えられ、一時は古臭い親父言葉に追いやられていたが、かえってその古っぽさがいい具合になってきている。フランス語起源であるところがまたよい。アテネ・フランセっぽさがあるというか。ちょっと違うか。

 ただし、やはり醗酵した言葉にも賞味期限というのはある。たとえば、「ナウなヤング」なんていう言い方は、少し前なら醗酵した味わいがあったが、今はもうダメである。「醗酵した面白さを狙ったけど、なんだか外して、恥ずかしい」というふうになる。納豆だって、クサヤだって、チーズだって、やっぱりいずれは腐るのである。