発酵食品の発見

 納豆が好きで、よく食べる。


 今朝も飯に載せてわしわし食っていて、ふと、“これ、工場で作ってんだよなあ”と思った。


 納豆工場を見学したことはないが、工場内の室(むろ)かどこかに大豆を貯め、納豆菌を繁殖させるのだろうか。
 部屋いっぱいの大豆の間に、ムニムニと納豆菌が広がっていく様を想像すると(もちろん、目には見えないが)、何かこう、気色悪い快感のようなものを覚える。


 逃げられない状態で、我が身を納豆菌に刻々と侵されていく大豆の心持ちは、どんなものだろうか。
 来世はなるべく大豆に生まれたくないものである。


 納豆菌は稲の藁に生息するらしい。


 納豆は最初、移動用にでも、藁包みで大豆を包んだところから生まれたのだろうか。
 もしそうなら、藁包みを開け、変色した大豆が糸を引いている様を発見した人は、わちゃー、と思ったに違いない。どう見たって、腐っている。


 それが納豆という食品として今に残っているからには、“食ってみた”ヤツがいたということだ。


 よほど腹が減っていたのか、それとも小学生が友達の前でホレホレと牛乳に浸したパンを食ってみせるように、どこぞのバカがウケでも狙ったのか。
 わたしとしては、バカがいた説を取りたい。バカのおかげで今、我々は納豆を食えるのだ、きっと。


 チーズも同じで、おそらく最初は、放っておいた牛乳が固まっているのを発見したのだと思う。


 ニオイもする。よくまあ、食ってみたものだと思う。飢えていたのか、やはり、向こうにもバカがいたのか。


 クサヤやシュールストレミングとなると、もはや生半可な飢えやバカでは説明できないように思う。あるいは、想像を絶する飢えやバカだったのか。