参る

「参る」という言葉には、いろいろな意味があって、例えば、神社仏閣に詣でることも、参るという。


 昔の女性が手紙を書くときも、最後に「参る」を使ったようだ。
「喜則様参る 小春より」なんて、何かこう、そこはかとなく色っぽくてよい。この一行だけでお銚子三本はイケるね。参っちゃう。もっとも、そんな手紙、もらったこともないが。


 わたしにとって親しみ深い「参る」といえば、へたばってしまう「参る」で、これはもうしょっちゅうだ。
 生まれてから参りっぱなしと言ったっていいくらいである。


 この使い方がさらに進むと、死ぬことも「参る」という。


「あの野郎、参っちまいやがった」


 なんて、まあ、今では落語くらいでしか聞かないが、そういう使い方もある。


 いいね、この、死ぬのを参ると呼ぶ言い方。軽くていい。


 わたしは今のところ、死にそうな気配はないけれども、まあ、世の中、ふとした病いがもとで、なんてこともある。あだ桜、夜半に嵐の、というやつだ。
 そういうときは、「稲本のやつ、参っちゃったって」、「へええ」で済まして、仕事なりカラオケなりにさっさと戻っていただきたい。


 もっとも、わたしの場合は家で仕事していることもあり、参ってしまってもしばらく気づかれない可能性がある。
 打合せに現れなくても、「あいつ、すっぽかしやがった」、「またか」でおしまい。


 あまりに連絡とれないので、誰かが様子を見にきたら、この季節だ。すっかり腐ってた、なんてこともある。えー、ご迷惑かけて、スミマセン。


 ただし、この死ぬという意味での「参る」、あまり公式に使ってはいけない。
 新聞の見出しで「旅客機墜落 乗客三百人全員参る」なんて、そりゃ参るだろうけど、やはり、あまり軽く扱ってはいけないケースというのもある。


 わたしがその飛行機に乗っていた場合は、「飛行機墜落 乗客二百九十九人死亡 一人参っちゃった」とやっていただきたい。


 そうそう、少し前に「ヤんなっちゃうネー」と「しょうがねーなー」は、物事を軽くやりすごせる便利な言葉だ、というようなことを書いたけれども、「参っちゃう(ちゃった)ネー」もなかなかいい。


 わたしは、いろいろしくじることが多いもんだから、その手の小細工ばかりが上手くなる。ホントもう、参っちゃうヨ。

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「今日の嘘八百」


嘘四百八十一 まあ、あたしの場合は体にだいぶ保存料が入っているので、結構、日もちがしますがね。