十二人の怒れる男

 近所のTSUTAYAで借りて、見た。アメリカの陪審員を扱った有名な映画で、裁判員制度が始まったところで見るのは、まんまとノセられたみたいでいささか口惜しい。

 内容は、陪審員制度を通しての民主主義バンザイ、アメリカバンザイ映画、かというと、まあ、そういうところもあるが、単純ではない。

 十二人の怒れる男が何に怒っているかというと、なかなか難しい。人の運命をいささか手抜きで決める裁判に対してでもあるようだし、社会(と自分)の偏見に対してでもあるようだ。一方で、陪審員という押しつけられた役目に対して「何でワシらがこんな目にあわねばならんのだ」という迷惑感と怒りもあり、人によって温度差はあるが、これは映画の最後まで続いている。野球の試合に行きたい男もいれば、仕事に戻りたい男もいる。経営する工場が火の車の男もいるのだ。

 裁判員制度を人々が嫌がる理由としては、「そんなもんに付き合わされたくない」というのが大きいだろう。陪審員制度の歴史が長いアメリカにしても、事情はあまり変わらないようだ。普段の生活から離れて、裁判に付き合わされる理不尽さに男達は怒っている・・・ところもあるように見える。そこんところが映画の複雑な味わいになっていて、“真理を追求する正義の男達”という単純な図式になっておらず、そこがよい。

 まあ、陪審員にせよ裁判員にせよ、意義はわからんでもないけれども、迷惑ですよね、本人にしてみれば。