不純物

 都々逸の通信講座というのがあって、広告の売り文句に「日本人の心の源」とあった。こういうのを野暮と呼ぶんではないかと思う。

 都々逸には色っぽい、艶っぽい文句が多い(色里で発達したからだろう)。例えば、

世間へたてつく小さな意地が
ほろりとけそな秋の夜

 なんていうのはなんとも言えずよく、わたしなんぞこれだけでお銚子二本はいける。

 また、ウィットに富んだものもあり、例えば、

はなは浮気でこぎ出す舟も
風が変われば命懸け

 なんていうのはなかなか面白い。

 こういうのはただただ味わえばよいのであって、日本人の心云々なんていうのは余計だと思う。

 おそらく日本には、古くは中国、黒船あたりからは欧米に一方的にヤラレテイル感というのがあり、その反動として、「ニッポンには実はこんな素晴らしいものがあったではないか!」と打ち出したくなるのだと思う。都々逸に限らず、落語、アニメ、茶道、日本料理、歌舞伎、浮世絵、俳句(Haikuとして欧米でも広まっていると聞くと、わたしもなぜか自慢げな気持ちになる)、あるいは桂離宮のような建築物なんかもしばしばそういう捉えられ方をする。子どもが口げんかでやりこめられ、「うちのお父さんなんて、100億円持ってるんだぞ!」と大風呂敷を広げてしまう心理にも似ている。

 野暮である。くだらねえ。