ビールの記憶

 昨日、ビールをひさしぶりに瓶で飲んで、缶より瓶のほうが味わいがあるなあ、と感じた。

 実際に缶と瓶でビールの味が違うのかどうかは知らない。たとえ違ったとしても、わたしのような雑な舌では感じ取れないだろう。

 瓶ビールのよさというのはもっぱら情緒的なものであって、記憶とも結びついているように思う。

 わたしは1960年代半ばの生まれで、ガキの時分、目にするビールといえばもっぱら瓶ビールであった。夏の夜、父親ランニングシャツで巨人戦のテレビ中継を見ながら瓶ビールをコップに注いではんぐんぐんぐ、というのが昔の家庭風景のひとつの典型となっているのだが、実際にはわたしの父親は大の巨人嫌いなので、これは本や映像から刷り込まれた記憶だろう。

 瓶ビールで飲むとき、どこかそういう記憶、ノスタルジーも作用して「うまいなあ。よいなあ」と感じるように思う。

 缶ビールがのしてきたのはいつ頃だろう。1980年代頃ではないかと思う。もしそうなら、今の20代の人々とわたしの瓶ビールに対する感じ方は違うのかもしれない。

 まあ、缶ビールには缶ビールのよさもあって、まずあれは便利である。軽いし、かさばらないし、買うのも瓶より気軽な感じがする。コップがなくとも飲めるのもいい(瓶ビールから直接飲むと別の飲み物に感じられる)。あるいは、例えば、よく晴れた昼間に公園で缶ビールを飲むのはよいものだが、瓶ビールだとそうはいかない。公園のベンチで瓶ビールでんぐんぐんぐ、というのは、相当なヨッパライに見える。

 だから、わたしは缶ビールを否定しているんではなくて、あの気軽さ・ライト感覚も捨てがたい。単に、たまには瓶ビールもよいものですよ、ということだ。

 コカコーラはどうだろう。あれも瓶のほうがうまい気がするのだが、やっぱり、ノスタルジーかしらん。