童謡と声楽

 わたしはクラシックの声楽が苦手で、特にソプラノのキンキン声を聞くと、ヒステリーの女性に怒られているような心持ちになる。
 ありゃあ、一種の暴力じゃないか、と思うくらいだ。


 声楽ファンの人、ごめんなさいよ。人それぞれ、好みも感じ方もくぐり抜けてきた修羅場も違うものだ。


 まあ、ソプラノは特別なのだが、他の声楽もあまり好きではない。
「正しい」発声法で頑張っちょります、という態度が苦手であるらしい。学校で授業を受けているような気分になる。


 たまに、日本の童謡を声楽家が歌う、なんていうのを目にすることがある。テレビではもっぱらNHKがやる。


 企画のねらいはわかる。美しい日本の童謡を、美しい声でお届けし、大人に懐かしい感覚を楽しんでいただくとともに、もって、お子様達の情操教育に役立てよう、ということだろう。


 しかしね、と思うのだ。
 お子様達の情操のことは置いといて、童謡をあんまりキバって「正しい」発声法でやらかすと、歌というものの、大切な部分が抜け落ちるように思う。


 その「大切な部分」というのはなかなか言葉にしにくいが、童謡で言うなら、そんじょそこらの人間が口ずさむ感覚というか。あるいは、口ずさむのを耳にする体験というか。


 童謡なんていうのは、オペラ歌手が腹の底から声を出して、ピアニッシモだ、フォルテだ、リタルダンドだ、ここんところは感情を込めて、なぞとやらかすよりも、そこらの人が口ずさむほうが味わいがあるんじゃないか。童謡はいろいろな光景の記憶と結びついているし。


 まあ、ちょっと映画やドラマの演出みたいでもあるけれど。


 ほら、耳を澄ますと、遠くのほうで誰かが口ずさむのが聞こえてくる。


「♪か〜わいい〜、か〜わいい〜、あ〜たり〜屋さん」

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「今日の嘘八百」


嘘四百十五 76歳まで生き延びたエリツィン元大統領は、酒好きの希望の星である。