母と奇蹟

 私の母は六十代で、息子に似ず(と言うのはちょっと変だが)、活発でよく働く人である。


 父も活発でよく働く人だから、こういうことについて遺伝というのはあまりアテにならない。まあ、愚作もあるというところだろうか。


 家には、母が実家から持ってきたぬか床があって、漬け物をつけている。


 母によれば、ぬか床というのは毎日かき混ぜないといけないんだそうで、旅行やなんかで放っておくとすぐウジが湧くという。


 彼女の疑問は、かき混ぜるとき以外、ぬか床には蓋をしておくのに、なぜウジが湧くのか、ということだ。


「蠅って、自然に発生するのかしらねえ」


 素晴らしい。もしそうだとしたら、彼女は、天地創造とまでは行かないまでも、生きとし生けるものを創り出した神の奇蹟の一部を目撃したことになる。


 母に「あたし、修道女になる!」と言い出されても困るので、わたしと兄とで、「科学的思考」なるものを持ち出して、説得を試みた。
 そりゃ蠅がちょっとした隙間から入り込んだんだろう、野菜に卵が付いていたのかもしれぬ、云々。


 母はあまり納得したふうでなく、「そうかねえ」で議論は終わった。


 今、考えてみると、母のぬか床とウジの一件について、「科学的思考」のほうが正しいという保証は何もない。
 蠅が卵を産みつけるところを誰も見たわけではないのだから。もしかすると、母は本当に神の奇蹟に立ち会ったのかもしれぬ。


 しかし、彼女にその自覚や感動はなく、おそらくは今日もせっせとぬか床をかき混ぜているのである。

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「今日の嘘八百」


嘘四百十四 仏様にお願い事をしたら、夢の中で「諦めということを学びなさい」と説諭された。