物忘れ

 年をとると物忘れが多くなるもので














 今、何か書こうと思っていたのですが、忘れてしまいました。


 物忘れには2つあるように思う。


 ひとつは、割に単純なもので、何かやろうとしていたこと、やらねばいけないことを忘れてしまう。
 友達との約束とか、仕事とか、買い物に行ったときあれも買っておこうと思っていたものとか、パンツを穿いておくこととか、いろいろある。
 でもって、鉄道警察に拘引されてからようやく思い出して、たいそう焦るわけだ。


 多少は防衛手段もあって、思いついたらメモを取っておく、というのもひとつだ。しかし、メモを見ることを忘れたり、メモを取ること自体を忘れてしまったりして、いやはや、老化というのは一筋縄ではいかないもののようである。それに、「パンツを穿く」なんてことをメモするようになったら、もはやメモする段階ではない。


 これ読んで、ケッ、ジジイの繰り言、と思っている若い衆よ。いずれ身に染みてわかるときが来るぜい。「年寄り笑うな行く道じゃ」、「全ての道は老婆に通ず」と言うしね。


 もうひとつの物忘れは、人や物の名前が出てこない、というやつで、例えば、友達と話していて、「スティーヴ・マックイーン」や「マーク・ボラン」が出てこなかったりする。


 不思議なもので、顔ははっきり思い浮かぶ。どんな映画に出たとか、どんな歌を唄ったとか、どんなときに誰とどんなことをしたとか、結構、ややこしいことは覚えているのに、名前だけが出てこない。
 友達と2人して、ウー、アー、あれだ、あの、ほら、あの映画に出ていた、そうそう、うん、わかってんだけどサ、などと悶え苦しむことになる。



スティーヴ・マックイーン」に悶え苦しむふたり


 もっぱら、多少は気にかけるが、常々考えるほどではない。そんな人の名前が出てこないようである。


 どういう脳内回路の働きなのかはよくわからないが、完全に忘れているわけではないようだ。悶え苦しんだ果てに、すらっと出てくることもある。
 感覚的には、記憶にフタをされたような具合で、誰がフタをするかといって、自分でフタをする以外、考えにくい。


 記憶の便秘の如し。一種の自傷行為なのだろうか。自分で自分に意地悪するふうでもある。

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「今日の嘘八百」


嘘七百七十九 如来様達の半眼は、要するにシラケているのだそうだ。