突然ではあるが、「森羅万象、是全て芸」という天啓を得た。
2行目にして早くも話が逸れるが、わたしはしばしば天啓を得る。
ただ、天のほうでは正しく啓示を送ってくれているようなのだが、わたしの脳に到達した段階で、信号処理を間違ってしまう。啓示内容がねじ曲がってしまい、天啓の当たった試しがない。
それはまあ、いい。「森羅万象、是全て芸」である。そう考えると、世界はどのように見えてくるであろうか。
笑わす、泣かす、驚嘆させる――形はいろいろであるが、芸というのは、人の情動を揺すぶることに、その本質がある。
会社の営業の人なんていうのはその点、わかりやすくて、製品なりサービスなりをお目にかけ、受ければ注文をいただける。大いに受ければたくさん注文をいただける。
そうして、ご祝儀をもらって帰ってくるわけだ。
経理の人はちょっとわかりにくいが、数字をきちんと合わせてみせることで、受ける。
芸境が進むと、本来、合わないはずの数字をきちんと合わせてみせられるようになるそうだが、これは裏芸に近いものなので、やりすぎには注意が必要だ。
つい調子に乗ってやりすぎ、しくじってしまう、というのは芸の世界でよくあることである。
社長は社員の給料を上げたり、ボーナスを多めに出したりすると、大いに受ける。しかし、一方で株主の不興を買いかねないから、ここらのバランスが難しい。最近の株主の客は、昔に比べていろいろ注文が多く、気難しくて、大変だと聞く。
課長・部長クラスには、自慢と駄洒落だけが得意芸という、困った芸人が結構、多いらしい。
まあ、芸の世界には、実力や人気だけでなく、師弟関係や年齢といった、別の序列もあるから、こういう困った芸人が平気な顔してのさばることになる。
学校の教師は上手く教えたり、生徒の相談に乗ってあげたりすると受け、医者は患者を治すと受ける。しかし、この頃の客はうるさくなってきて、どちらの芸人も、しばしば超人的努力が求められるらしい。
思春期の子どもを持った父親は、たいてい、子どもをイジろうとして滑るそうだ。
語らぬこと、余計な部分を削ることも芸のうちなのだが、何かこう、たまには会話しなければ、とか、いろいろ考えすぎてしくじる。
まあ、客からすれば、「学校、どうだ」とか、いきなり言い出されても、困るわけである。