発明家達

 さまざまな発明のチャレンジと失敗をつなげたムービー。


Gizmo


 面白い。


 普通、ネットで6分のムービーを見るというのは途中で苦痛になってくるもんだけれども、これは見ていられる。


 以下は、蛇足。
 ま、蛇足には蛇足なりの面白みがあるから、暇な方はドーゾ。って、こんなとこ、暇だから(あるいは何かから逃避したくて)読んでいるんだろうけど。


 こういう映像への感想を書くときは、ひとしきり面白がった後で、失敗を重ねる発明家達のチャレンジ精神と“心の自由さ”やなんかを讃えて〆めれば、きれいにまとまる。


 でもね、あたしはそういうことをしたくないんだわ。型通りっていうのはくさみがあるし、〆めるための〆めにもなりかねないし。


 閑話休題(「それはさておき」と読むんだヨ)。


 おかしさ、笑いにはいろいろあって、意外なものが突然出てきたときに笑う、なんていうこともある。
 ナンセンス系の笑いなんていうのはそうだろうし、ドリフターズの笑いにもそういったものが多かったように思う。


 一方で、あ、そういうのあるある、という笑いもあって、わたしは「アルアルの笑い」と呼んでいる。
 若手の漫才師がしばしばネタにする、「学校の頃、こういうことあったよねー」というのは、この「アルアルの笑い」だ。


 もっとも、世代などの違いで共通経験がないと「あるある!」とは思えないから、オイテケボリを食った気になる。
 悔しいもんだから、「客と馴れ合ってんじゃないよ!」と毒づきたくなるときもあり、ハイ、ご明察、わたくし、人間がだいぶ小さくできております。


 で、冒頭のムービーに戻るのだけれども、これ、なぜ面白いかというと、一見、奇妙な機械や工夫が出てくるようで、案外、自分でも発想しそうなことが多いからではないか。


「アハハ。そういう発想、あるね。あるある!」というわけで、アルアルの笑いの一種だと思う。
 ただし、世のほとんどの人は発想しても、大まじめに取り組んだりはしない。


 発明家達は、素朴な発想を実現して、チャレンジして、失敗する。見ている人間は、「そういう発想、あるある!」と笑って、失敗する姿に「そりゃ、失敗するだろ」とまた笑う。発明によっては、この失敗の部分に、「意外なものが出てきた」笑いも混じっているかもしれない。


 このムービーを見て笑う人は、人間の発想のしょうもなさを笑っているのだと思う。「そういう発想、(自分にも)あるある!」と笑っているのだから、自分のしょうもなさを笑っているとも言える。


 わたしは、このムービーに出てくるような類のチャレンジの中から、エジソンライト兄弟のような歴史的発明家が出てきたとは思わない。
 このムービーに出てくる発明家達は基本的に抜けている。何か一本、足りないところがある。


 でも、わたしは笑いながらも、そういう抜けた発明家達を愛しく感じるのよね。人のしょうもなさがおかしく、また、愛おしい。


 えー、結局はきれいに〆めてしまいました。

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「今日の嘘八百」


嘘四百九十七 シンデレラがガラスの靴を忘れてきたのは、実は恋の駆け引きであった。